大円鏡智

鐘楼の裏側に、丸い石が2つあります。
30年前は玄関の前にあり、毎日踏んでおりました。
「いい石を踏むと不幸が続く。」とのご指摘をいただき、庭の隅に移動しました。
30年の間、丸い石が鏡のように、ずっとお寺を映し出してきたようです。
仏教の教えに「四智」という智慧があります。その1つに「大円鏡智」と言って、とらわれの心を静めて、鏡に映るように物事を映し出す智慧があります。
境内の片隅で、お寺のエピソードを映し出していたようです。

「白隠禅師坐禅和讃」に「四智円明の月さえん」というくだりがあります。鏡に映し出すようにとらわれの心を静れば、お月さまのように、きれいな光を発することができるのかもしれません。

 

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調和すること。

鐘楼の修復の件でお世話になった設計士さんが、お見えになりました。

補修すべきところ保存すべきところをご指摘くださり、大いに感謝しております。

明治40年に建立した庫裏は、当時の人の智慧により、今でも活用されています。

設計士の先生は、安易に新築するのではなく、技術を継承していくことを進言していかれました。

「松に古今の色なく、竹に上下の節あり」という禅語があります。100年以上経過しても、維持することができるのは、松や竹のように、柱や梁が調和しているからなのです。

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十牛図


昨日、禅の修行は、「不立文字、教外別伝、直指人心、見性成仏」と言って、文字によらない対面のコミュニケーションによるもので継承されるものとお伝えしました。

「十牛図」という、禅の修行の過程を絵にしたものがあります。その第二幕は「見跡(けんせき)」と言います。

仏さまと同じような清浄な心になろうとする青年は、仏さまの象徴である牛の足跡を追い続けます。青年は、牛の足跡を見つけるところまでたどり着きました。まだ発見することはできません。

牛を発見することすなわち仏心に近づくことは、知識ばかりでなく言葉にすることが難しい智慧も要します。

日々の何気ないことから真実が見えてくることもあります。「渓声すなわちこれ広長舌」と、川のせせらぎから仏さまの心を読み取ることができる古人もおられたのです。青年を自己に重ね合わせて読み解いていくと、より解釈が深まっていきます。

 

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禅林句集

禅の修行とは「不立文字、教外別伝、直指人心、見性成仏」と言って、文字によらない対面のコミュニケーションによる、師匠から弟子への継承が基本とされます。
日々の積み重ねから見えてくる境涯というものがありますが、その境涯を言語化したものが禅語です。毎日の暮らしの備忘録なのです。

禅林句集という本を手にとっておりました。そのなかに、「雲 剣閣を遮る三千里。水 瞿塘を隔つ十二峰。」という禅語を見つけました。「雲が険しい山を広く遮り、水が堤防をおびやかすほどである。」という解釈です。「雄大な景色のなかにたたずむように、いまここに生きていることのありがたさを感じること。」を教え諭してくれる禅語です。

手にとって読み進めていくと、自ずと戒めをもたらしてくれます。

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棟札の写真を発見しました、

image本堂の大修復を開始したのは、平成11年のことです。
地盤が弱く屋根も傷んでいたので、ジャッキアップして杭を打ち込み、屋根板や瓦も換える大工事でした。
その工事のおりに撮影された、昭和15年に竣工したときの棟札の写真があります。
当時の住職は戦争に出征しており、実母が発願主となって工事が進められました。

竣工して76年たち修復して16年たちますが、ご寄進くださった皆さまやご縁のある皆さまのお役に立っているかというと疑問です。杭を打ち込んで耐性を高めたように、皆さまの信心を深めていかなければ、古人の意志は無駄になってしまいます。
「一超直入如来地(いっちょうじきにゅうにょらいち)という禅語があります。杭を打ち込むように根気強さを持って、信仰を深める場であり続けたいものです。

余寒の候

三日前は20度を超えるほどの気温でしたが、今朝は雪が伽藍を覆うほどの寒さです。

気温差により体調がすぐれなくなることがあります。インフルエンザが蔓延しております。皆さまご注意ください。

「紅炉上一点の雪 」という禅語があります。真っ赤な火のもとにかかる炉があって、その上に雪が降ってきても溶けてしまいます。「雪が降ろうと、熱い炉のような強い信念があれば前に進むことができる。」という教えです。

もう少しで暖かくなります。寒さを乗り切ってくださればと考えております。image

花の下にて

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「願はくは花の下にて春死なむ。そのきさらぎの望月の頃。」とは、平安時代末期の西行法師が詠まれた歌です。

この歌にある花とは、桜ではなく梅のようです。きさらぎというのは二月のことで、望月の頃というのはお釈迦さまがお亡くなりになった十五日のことを言います。

西行法師は、今でいう出世コースを歩まれていたのですが、失恋の傷みもあり出家されました。

人情の機微を知る方であったからこそ、お釈迦さまのような安らかな人生の閉じ方を望まれたのでしょう。

どんな困難があっても生きながらえる梅のように、最期まで生きていきたいと思われたのかもしれません。

古文書が出てきました。

大源寺は、今も昔も裕福とは程遠いお寺です。

安政7年(1860年)の古文書が出てきました。本堂が災害で大破して修復する費用を工面することができず、お上(おそらく大垣藩)に資金の援助を嘆願する書状です。当時の住職の玄密和尚と檀家総代の平内さんと村内の七平さんと七郎兵衛さんが、連名で書かれています。

「古人刻苦、光明必ず盛大なり。」と白隠禅師が座右の銘とされた「禅閑策進」のなかの慈明和尚が言われた言葉を思い出しました。

古人が骨を折ってくださったからこそ、いまのお寺が成り立っているのです。image

住職日記第一号です。

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今日は、「涅槃会」といってお釈迦さまがお亡くなりになった日です。
お釈迦さまがお亡くなりになるにあたり、「戒を師をせよ。」と言い残されたようです。
戒とは、いましめのことであり「心によい習慣をつける。」ことです。
お坊さんになる「得度式」のときも、戒を保つことを仏さまに誓います。

戒には、「不殺生戒(生き物を殺してはいけない。)、不偸盗戒(人のものを盗ってはいけない。)、不邪淫戒(みだらな行いをしてはいけない。)、不妄語戒(うそを言ってはいけない。)、不飲酒戒(お酒に酔って乱れてはいけない。)」の5つの戒が基本とされます。
この5つとも守ることができる人はいるでしょうか。害虫を殺さなくては生きていけませんし、つい出任せでものをいうこともあります。お酒を飲んで迷惑をかけることもあります。

戒を守りきることはできないのです。振り返り反省して、今後は改めていこうという懺悔(さんげ)することが大切なのです。

お釈迦さまは、「人は自分のことが一番愛おしいと思う。自分のことを愛おしいと思うほど、他人を思いやることが大切である。」とおっしゃいました。「人を傷つけることを言ってしまった。」とか「お酒を飲みすぎてしまい迷惑をかけた。」と恥を感じることから、「戒を保つ」ことを実践してはいかがでしょうか。