お葬式のあり方とは。

東京の三田にある仏教伝道会館へ行きました。

「葬式仏教伝道向上委員会」という、全国の宗派を超えたお坊さんの勉強会です。

葬儀社をする方の講義をお聴きしました。

お寺や住職にとってお葬式は何回も立ち会いますが、ご遺族にとっては一生に数回しかないことです。

ご遺族の想いは多種多様です。形式的な儀礼を強要することは避けて、悲しみに寄り添う葬儀にして行きたいです。

image

イチゴの苗

住職の母が、ご近所の方からイチゴの苗をいただいて、じっくりと育てております。

お寺のある神戸町には、ビニールハウスの農業が盛んで、イチゴの生産もされているようです。

温室育ちのイチゴと、寒暖差に耐えて育つイチゴと、どちらが熟すことになるのでしょうか。

image

木瓜

お寺の庭にウリのような形をした植物が、色づいてきました。

木瓜と書いて、ボケとお読みします。元はモケとお読みしたようですが、 ボケと転じました。

繊細な植物で、お寺の庭の片隅にひっそりと咲いております。

image

阿弥陀仏

名古屋からの帰りに、大垣駅から夕焼け空を撮ってみました。

古代から、西方浄土から阿弥陀さまがお越しになって、我々凡夫をお救いくださるという信仰があります。そのような背景を思い浮かべました。

臨済宗のお坊さんの一休さんが詠まれた歌に、「阿弥陀仏 悟ればすなわち去此不遠  迷えばはるか西にこそあれ。」というものがあります。

仏さまへ祈ることで、いま生かされていることを感謝することで、遠い存在の仏さまを身近に感じることができるのではと思います。

image

伝道掲示板

大源寺には、伝道掲示板というものはありません。

これまで、不立文字(ふりゅうもんじ)と言って、「言葉で言い表わすことのできない仏の教えを、以心伝心でお伝えすることが禅の教えである。」と、伝道掲示板には否定的でした。

掲示板には、「どんな表現で掲げれば、皆さまに伝わるのか。」と考えておりましたところ、鎌倉にある円覚寺の横田南嶺老師の本に出会いました。仏教の教えを、わかりやすい言葉で言い表わした詩で、お伝えすることができるのではと考えております。

「わたしはいたるところに、いろいろな形をして、とびまわっているのだ。墓のなかなどに、じっとしてはいないことなどを知ってくれ。」という、仏教詩人の故坂村真民さんの詩は、死後の世界のことを、わかりやすい言葉で表現されています。

これから先、このような詩を、伝道掲示板に掲げていきたいと考えております。

image

聞声悟道。見色明心。

お寺の庭には庭には、樹木がたくさんありますが、時季によって役割分担するかのようです。

鐘楼の前の植え込みの花も、きれいに咲いております。そんな情景を撮っておりますと、ウグイスの啼き声が聞こえてきます。

「聞声悟道。見色明心。」という禅語があります。「声を聞いて道を悟り、色を見て心を明からめる。」とお読みして、「自然のなかの音声や情景と一体となることで、仏心に近づく。」という解釈をしております。

ありのままの姿や音声を受け入れることは、心のなかでクラッシュを起こすことが多くて、難しいのです。image

一華五葉を開く。

山門前のチューリップが開きかけております。あともう少しで花が開きます。

「一華五葉を開く 。 (いっかごようをひらく)」という禅語があります。花が咲くことによって、人間の5つの智慧が開かれるとの解釈をしております。

①大円鏡智  生まれながらに持つ、ありのままの心

②平等性智  すべてのものが仏性を有して、平等であること。

③妙観察知  平等のなかにも、それぞれ個性があり、違いがあると知ること。

④成所作智  仏の心と同じく、他を思いやり大切にする心。

⑤法界体性智  身の周りにあるものは、仏の心の現れと知る心。

 

暖かくなり、人の心もゆとりが出てきます。花に仏さまの智慧を教わるとは不思議なものです。

image

 

念ずれば花開く。

お彼岸のお中日が来るのを待っていたかのように、桜の開花宣言が出されております。

大源寺の庭では、チューリップの花が開いております。

寒い冬の間、暖かくなることを願っておりました。そんな願いがかなうかのような開花です。

「念ずれば花開く」という詩を思い浮かべております。

image

鶯は春暖に逢うて

日中は20度を超える気温にまで上昇してきました。

お寺の庭では、鶯(ウグイス)が鳴いております。鶯の声につられて、庭に出ていく住職です。

「鶯は春暖に逢うて歌声滑らかに、人は時平に遇うて笑瞼開く。」という禅語があります。

寒い毎日であった1月前とは異なり、鶯の鳴き声が人の心を和ませてくれます。

ただ、花粉が蔓延しております。笑って瞼を開くとはいかないのが辛いところですね。

image

 

水離れて元海に入り

朝の長良川の風景を撮ってみました。

岐阜県の西南に位置する西濃地方は、木曽川 長良川 揖斐川と3つの川に囲まれる平野地帯で、水害に悩まされてきました。

生活を潤すこともあり おびやかすこともある水もやがては、海に帰っていきます。

 

お葬式のときにお唱えする引導のなかで、「水流れて元海に入り、月落ちて天を離れず。」という禅語を引用することがあります。「この世での人の命が絶えたとしても、海に入る水や、見えなくなる月のように、消滅することなく、大自然の命となって生き続ける。」ということです。

 

日頃の何気ない風景にも、大いなる命が宿るものです。

image