屋根を囲い込む。

鐘楼の屋根が囲い込まれています。

これから先、野地板を設置するにあたり、雨風を防ぐためのものなのでしょう。

職人さんの積み上げてこられた技や智慧ばかりでなく、この修復事業にかける意気込みが伝わってきます。

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歴史の証拠。

修復中の鐘楼に掲げてあった棟札を下ろしてもらいました。

大正10年の建立であったようです。これまで大正8年に建てられたと口伝にて聴いておりました。

歴史の証拠が出てきて、大源寺の歴史の年表が訂正されることになります。

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美しい瑞穂のように。

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日曜日返上で、大工さんが鐘楼の修復工事にお越しくださいました。

休憩されている間に、世間話のように建築のことをお聴きすると、丁寧に教えてくださいます。

多くの皆さまのおかげのもとに、お寺の伽藍(建物)があることを改めて感じております。

住職になったばかりの頃、本堂の修復工事のおりは、根拠のないプライドのもと、大工さんとの会話も疎かにしておりました。

お寺の近くの田んぼでは、田植えが終わって、水稲がきれいに並んでおります。この水稲も秋には稲穂となって、頭を垂れるようにゆらゆらとします。

「実るほど頭垂れたる稲穂かな。」という句があります。年を重ねるごとに、美しい瑞穂のように、しなやかに謙虚に皆さまとのコミュニケーションをしていきたいものです。

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瑞泉

住職が20年前に掛塔(かとう 入門)した犬山の瑞泉寺の本堂には、「瑞泉」という額に納められた墨蹟があります。

戦後に、臨済宗妙心寺派の管長を勤められ、その後瑞泉寺の住職を勤められた山本玄峰老師の書です。

力強く「瑞泉」と揮毫されています。玄峰老師は、目がほとんど見えなかったようですが、修行を積まれて多くのお弟子さんを育てられました。人を惹きつけるものがあったのでしょう。

20年前は何にも思わず、いつもの光景としか見ておりませんでした。改めて、玄峰老師のお人柄が伝わってくるようです。

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四衆接化

今週は雨空が長かったのですが、空が晴れるのに合わせるかのように、工事中の鐘楼の四隅に隅木が取り付けられました。重い屋根を四方から支えるようです。

仏教に、四衆接化(ししゅせっけ)という言葉があります。「比丘(男性僧侶)、比丘尼(女性僧侶)、優婆塞(男性信者)、優婆夷(女性信者)」が共に手を取りあって教団を支えていく。」ということです。多くの皆さまに支えられているありがたさを感じるものです。

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超宗派の試み。

日本の仏教には59の宗派があると言いますが、宗派を超えた交流はあまりありませんでした。

教義や儀礼の違いが表面化することを避けたのかもしれません。

住職が3年前からお世話になっている「未来の住職塾」で絆のできたお坊さんたちが九州に乗り込み、お寺を見学して、1人10分の法話をするという試みが、ちょうど1年前の今日行なわれました。

写真は、大分市の大法輪寺大分別院で住職がお話しをしている場面です。

1年前は宗派を超えた交流をして、本日は20年前に修行の同期のお坊さんと仕事をするとは不思議な因縁です。

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社会でのお寺の役割の一つ

熊本地震の被災地の支援から帰って来られた方からお聞きしました。

被災地では、お寺が避難場所として場所を提供されておられるところもあるようです。

大源寺のお寺は、広いものの地域の皆さまのお役に立てているかと言えば、あまり当てはまりません。

戦時中、大垣付近に空襲があったとき、防空壕としての築山に、うちの家族のみが入っていたようです。

災害時に境内地をご利用いただくことも、社会における貢献であると考えております。

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喝とは悟りに導くためのメッセージです。

臨済宗の葬儀では、導師が引導のときに「喝」と大きな声で叫びます。

住職が初めて葬儀をさせていただいたとき、マイクに向けて大きな声で叫んだものですから、参列者がみんな震え上がってしまうということもありました。

「人に説教をするために、喝を言い渡す。」のではなく、「悟りの道へと導くための喝。」なのです。

そのためには、導師を勤める和尚が、清浄な心で他人と向き合っていることが大切です。

一方的な喝ではなく、お互いさまの喝でありたいものです。
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住職になっても修行し続けること。

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名古屋市の栄にある、臨済宗妙心寺派の政秀寺で、河野太通老師の「十牛図」の講義を聴聞してきました。

こちらに出てくる牛とは、自分自身の仏心すなわち悟りの心です。

迷いによって自分自身の方向性を見失ってしまった。先人の足跡をたどるなどして、やっとのこと、自分の軸の象徴である牛を捕らえことができた。その後、どう牛を飼い慣らすかということです。

「鼻索強くひいて、擬議をいれざれ。」というくだりで、自分自身に生じてくる迷いの綱を強く引いていくことの大切さを説かれました。

修行をしてお寺の住職になったとしても、また迷いというものが生じてきます。迷いを持ったままの住職の説法を聴く人などいません。

禅の教えでは、「聖胎長養」すなわち「悟りの後の修行」というものが必要とされます。

京都の大徳寺の開山の興禅大燈国師 宗峰妙超禅師は、悟りの後20年間にわたり、五条大橋の下で、ホームレスの生活を送られました。妙心寺の開山の無相大師 関山慧玄禅師は、悟りの後20年にわたり、岐阜県の美濃加茂市にある伊深の里で農耕生活を送られました。

長年にわたる社会との関わりのもと、世間の多くの皆さまに仏法をお伝えすることができるのです。

帰りの地下鉄で、ピアスにタトウーの若い二人組が「オレも坊さんになりたいな。」と語りかけてきました。「君たちもこれから人生の経験を積みなさい。ヤンチャしていたほうが歳をとってから、語りに重みが出るんだよ。」と伝えました。

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柳緑花紅。

お寺の北側にある垣根の樹木が生い茂ってきました。

「柳は緑。花は紅。」という禅語があります。「自然の成り行きのありのままを見つめよう。」という解釈です。

ありのままを見つめても、放っておくことはできません。剪定作業をして、ご近所にご迷惑がかからないようにしております。

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