花が咲いている。精一杯咲いている。

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庭のあじさいがきれいに咲いております。

梅雨時の蒸し暑い中でも精一杯に咲いて、まるで見本となっているようです。

「花が咲いている。精一杯咲いている。わたしたちも精一杯生きよう。」という詩を知りました。

鎌倉の円覚寺の横田南嶺老師が出家を志して、初めて故松原泰道和尚さまにお会いされたとき、松原和尚さまがこの詩を色紙に書いて送られて、目の前のことを精一杯に勤めるように示されたようです。

これから暑くなりますが、「暑い暑い」と愚痴るのではなく、目の前のことを精一杯に勤めるように、あじさいが示してくれるようです。

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庭園のラベンダー

お寺の玄関前にラベンダーが咲いております。

庭には松の木やツツジが多くあるのですが、ラベンダーは異色の存在です。

「庭前の柏樹子」という禅語があります。中国の唐の時代に趙州という和尚さんがおられました。

理路整然とした説明を求める弟子に向けて「庭先の柏樹をご覧なさい。」と答えます。

理屈で考えることなく、ありのままを観察することを説かれたのです。

どこか異色のラベンダーも、ありのままを見ていると安らぎを得ることができるのです。

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山川草木悉有仏性。

毎日のように続く鐘楼工事は一休みです。

雨の日曜日になるという天気予報でしたが、午後からは快晴でした。

静かななかで庭木を見ていると、「山川草木悉有仏性(さんせんそうもく しっつぶっしょう)」という言葉を思い出しました。「庭木や草までも仏さまの心を持ち合わせている。」ということです。

手入れに手間取る庭木でも、「落ち着いて物事を進めなさい。」と語っているかのようです。

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拝み合わせる。

鐘楼の工事が続いております。

屋根瓦の下地になって、瓦を敷かれた後はお目にかかることのない「野垂木」が設置されているところです。

左右両脇に据え付けられて、接合部分を「拝み合わせ」と言うようです。

大きな構造物には、拝み合わせて調和することが必要とされるのです。

お寺とは、仏さまに拝むばかりでなく、お互いの仏心に拝むところでもあるのです。

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幾重にも重なる骨組み。

image鐘楼の修復工事は、急ピッチと言っていいほど進んでおります。

先日に、屋根の上の枕の役割を果たす桔木(はねぎ)が設置されましたが、その上に野垂木が据え付けられています。

野垂木の上が瓦が敷かれるようで、幾重にも重なる骨組みで補強されていきます。

今後の風雪にも耐えていくことでしょう。

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