日ごとに気温が下がって行きます。皆さま体調にお気をつけください。
お寺の本堂の脇に、千両の実がきれいに色づいております。千両は、上向きに実がなるのです。
境内の隅には、皇帝ダリアが見下ろすように咲いております。
千両が上向きで、皇帝ダリアが上から見下ろしていて、対照的な印象を受けます。

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朝になっても、お月さまは光を照らしております。

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本堂の位牌棚を整理していると、和尚さんの名前を刻んだ木札が出てきました。
お釈迦さまに始まるインド 中国 日本の和尚さんを顕彰しているお位牌のようです。脇に、百丈禅師と臨済禅師の名が彫られています。

大源寺だより第5号には、この二人の和尚さんの逸話のことを掲載する予定なのです。
お二人に向けて感謝を述べることができたのは、不思議な巡り合わせです。

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十牛図

河野太通老師の「十牛図の講話」をお聴きしてきました。
10章の物語のなかで、「迷っていた牛を探し当てて、飼い慣らして牛がいたことも忘れてしまう。」というのが前回までのストーリーでした。

今回は、悟ることができたからといって、お高くとまっているのではなく、自ら街へ出ていって、お酒を酌み交わしたり、おすそ分けをいただいたりしていくことが、仏さまの教えを広める素地になることが説かれています。

老師は、この世をつなぐ衆生縁、法縁、自然縁という縁に、どう関わっていくのか。縁をつないでいくことが大切であると説かれました。

良寛禅師の因縁話は、共感することがありました。「良寛さんは、お酒を親しむが悪酔いすることもない。酒代を出し惜しむこともない。」というコミュニケーションによって、布教活動をされたようです。

1時間30分の講話の最後に、「身心不二、人境不二、自他不二」と言って、、この世はどこかでつながる縁のもと、根本的に断絶することはないという「不二」ということを強調されました。
「迷うことがあるから、心が動く。離れた思いをするから苦しむ。不二というこの世の真理をつかむことができれば、もう悩み苦しむことはない。」というメッセージで終えられました。

最後に、重大な発表がありました。故山田無文老師の後任として、30年にわたり、この法話の会「无名会」の講義をされてきましたが、今回を機に引退されるのです。後任は、神戸市の祥福寺の僧堂の木村太邦老師がされるようです。
10年近くお聴きしてきて、残念な気がしますが、お元気なうちにご勇退されるという、見事な引き際でした。

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伝道掲示板

晴れ空のもと、伝道掲示板を貼り替えたところです。
まずは行動を起こすことを呼びかけております。住職こそが行動をと突っ込まれそうです。

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冬雪さえで

街は一足早く、冬景色になっていました。
幼い頃は、雪だるまを作って遊んだものです。

「春は花、夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえで 冷し(すずし)かりけり」とは、道元禅師の和歌です。
季節の変わり目に、心身ともに順応することが難しいのですが、変わりゆく気候をありのままに賞でることから、心身がついていくのかもしれません。

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朝晩の6時に鐘を鳴らしております。
腕時計を見て6時になるのをつき始めます。
修行僧の頃に、同期の和尚さんが、4時になったのを秒針で確認してから、振鈴(しんれい  鈴)を鳴らしていたのを思い出しております。

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寺史

住職が修行をさせていただいた、愛知県犬山市の瑞泉寺の「瑞泉寺史」を読んでおりました。

1494年に建立されて以来、臨済宗妙心寺派の中の4つの派から輪番で住職をしていたことや、多くの塔頭寺院があったことなど、これまで知らなかったことを学ばせていただきました。

後に、「大源寺史」というものを書いて行きたいと思うのですが、平成時代の記載が多くなりそうです。

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先日、愛知県犬山市の瑞泉寺に行ったときに拝見した墨蹟です。
「鬼手是れ仏心」とお読みします。

おそらく、静岡県三島市の龍澤寺の住職を勤められた、故鈴木宗忠老師が書かれたものであると思います。

「鬼のように厳しい指導は、本当は仏さまのような優しい心である。」という解釈をしております。臨済宗の僧堂での修行の心得と言っていいでしょう。
住職になっても、その心得を忘れてはならないと感じておりました。

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