さとりとは

文筆家の小出遥子さんのコラムが、今朝の中日新聞に掲載されていました。
仏さまと自分自身とは別物ととらえてしまうことが多いのですが、コラムでは『仏さまとの境目がふっと消え去ったときにこそ「さとりの光」というものが見えてくる。』とわかりやすく書かれていました。

10年前に故松原哲明和尚さまから「桑海くん。仏さまと自分自身が一体であることを説くべきだよ。」と教わったことを思い出しました。

言葉で概略を説明することと、実践することとの繰り返しこそが、仏道修行であると、今さらながら感じております。

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同窓会

母校である大垣日大高校の同窓会に参加してきました。
卒業して22年経って初めての参加でしたが、恩師や同級生との旧交を温めることができました。

心にしまいこんでいた古いアルバムを開くような、楽しい時間でした。

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掲示板

8月は後半に差し掛かってきました。
お盆の時季が過ぎて、先人たちが仏さまの世界に戻って行かれました。帰り際に、我々に語られると思うメッセージを掲げさせていただきました。

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備えあれば憂いなし。

病気が判明して、長期離脱することがあってはいけないと思い、人間ドッグを受診しました。
厄年に当たるので、念入りに検査です。MRI検査は30分ほどカゴの中でじっとしていました。

「あと30年は住職を勤める。」と檀家さんに宣言していますから、備えあれば憂いなしとじっとしておりました。

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慌ただしい8月は後半に差し掛かり、のんびり気分になってきました。

施餓鬼法要の準備をしていたとき、本堂の仏具に記された寄進してくださった方のお名前を、毎日のように発見しておりました。

現在このお寺を主宰する住職として、感謝申し上げます。77年前の期待を絶やさないように引き継いで行きます。

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鐘楼前の砂場の上に、奇妙な足跡が残っていました。
いったい何の足跡なのでしょうか。

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ご近所のお寺の施餓鬼法要のお参りに行きました。
残暑のおりですが、たき火を描いた墨蹟がかかっていました。白隠禅師のお弟子さんの遂翁元盧禅師が描かれたもののようです。

1758年の愚堂禅師の百年忌の折に記念に遺されたようです。白隠さんのお弟子さんの中では、一歩後ろに下がる謙譲を美徳とされた和尚さんであられたようです。

私も謙譲が美徳と教わったものですが、ただ待つのみでは何の布教もできません。こちらのお庫裡さん(住職の奥さん)に大源寺だよりをお渡ししてきました。この墨蹟と同じように、300年後にも語られることを願っております。

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本堂の内観写真を送ってほしいとのご依頼があり、何枚か撮影しておりました。
この本堂は、私の幼い頃はボロボロ状態でした。雨漏りがひどく台風が来れば水浸しでした。私も粗末な扱いをしていたものでした。

皆さまのおかげで整い、安心の空間となることができました。お盆に当たって、先人の皆さまに感謝申し上げております。

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お盆のお参りに行こうとすると、門の近くにきれいな花が咲いていました。どういう名前の花でしょうか。
同じお花が、お参り先のお宅にお供えされていました。不思議な偶然を感じておりました。

住職になった頃は、お盆のお参りなど檀家さん宅での仏事では、ひとり早いスピードでお経を読んでいました。
10年ほど前から、「ゆっくり読みますからご唱和ください。」と合唱するようにしました。今では、皆さまがお経をお読みくださり、ありがたい仏縁に包まれているようです。

お釈迦さまの教えを、お弟子さんたちで共有することがお経の始まりであるようです。故人の想いを共有することができれば、本当にありがたいことです。

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頑張らない。無理しない。

お盆のお参りの合間に、ポスターを貼り替えたところです。
『「頑張らない。無理しない。」とお盆の時季こそゆっくりお過ごしください。』とあげさせていただきました。

しかし、お坊さんはお盆の時季こそ無理をするほど頑張らなくてはいけません。皆さまに安心をもたらすために精進いたします。

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