大叔母が祖母のお墓参りに、お越しくださいました。
足腰のことを配慮して、お墓の前まで行くのはお止めして、本堂からお参りしていただきました。
納骨壇をご案内したら、驚いておられました。当初想定していませんでしたが、90歳近い大叔母は、屋内でのお参りのほうが足腰の負担が軽くなって落ち着くようです。
お寺の少しずつの変革に、理解を示してくださるようでした。
大叔母が祖母のお墓参りに、お越しくださいました。
足腰のことを配慮して、お墓の前まで行くのはお止めして、本堂からお参りしていただきました。
納骨壇をご案内したら、驚いておられました。当初想定していませんでしたが、90歳近い大叔母は、屋内でのお参りのほうが足腰の負担が軽くなって落ち着くようです。
お寺の少しずつの変革に、理解を示してくださるようでした。
6年間通った母校の向かいにある忠魂碑で、戦没者慰霊の法要をさせていただきました。
午前8時からの開始でしたが、汗が吹き出るようでした。
法要の後に、今年の始めに靖国神社をお参りしたことを触れて、「親孝行と同じように、お国のために命を捧げることを美徳とされて、汗も涙も拭くことができずにお亡くなりになった皆さまはいたたまれません。こうして72年間法要を継承してきたから、戦争を繰り返してはいけないと主張することができるのです。」とお話ししました。
帰り際、父と同級生であられた方がお声をかけてくださいました。長年にわかる儀礼があるからこそ、教訓を後世に遺すことができるようです。
お坊さんにとって、お盆ほど気ぜわしい時季はありません。以前にお見かけした「急がばまわれ。」という看板を思い出しました。安全運転で移動したいところです。
書道教室で毛筆のお稽古をしてきました。
掲示板に書道まつりのお知らせがありました。自分の願いごとを書いて、京都の神社でお焚き上げするようです。
「規則正しい生活」や「猫の手貸してください。」は私の気持ちにぴったりです。
同じ講座の受講生に「良縁成就でしょう。」と突っ込まれていました。
NHK中部圏の「ナビゲーション」という番組で「お寺が消えてゆく。」という タイトルでお寺の運営難と僧侶の困窮のことが取り上げられていました。
生活保護を受けられておられる和尚さまもおられるようで、他人事と思えません。
このことは、住職になった20年前から感じていました。「キミのお寺は大源寺と名前だけ立派だね。」と冷やかされたものです。公的年金制度と同じように、存続が難しいことが目に見えてきたから、「少子高齢化や過疎化が原因である。」という当たり障りのない分析がされているような気がします。
仏教の教えを聴くことや儀礼というものが必要なのか伝わっていないことも、お寺の衰退する原因の一つではないかと感じておりました。
隣にいた母は、「あんたが結婚せんとなぁ。」と分析をしておりました。
雨にも負けず風にも負けず、無事に施餓鬼法要をお勤めすることができました。
仏天のご加護と檀信徒の皆さまのおかげと感謝申し上げます。
明日の施餓鬼会の法要の後のお斎(おとき 昼食)の素材にと、お隣の90歳近いおばあさんがキュウリとナスとササゲ(大角豆)をくださいました。
カゴがはち切れるほどいただいて感謝するばかりです。
明日の施餓鬼会の準備をしております。晴れ空が続くことを願っております。
明日お参りくださる皆さまに、「おぼんのおはなし」というマンガの冊子をお渡しします。なぜ施餓鬼会を行なうのかが、わかりやすく説明されています。
監修されたのが、日蓮宗のお上人です。仏教界全体で、教化布教をしていく時代になってきました。
施餓鬼会が明後日に迫り、準備に追われております。
掲示板のポスターを貼り替えました。「生きているものは、どんなものにも仏さまの心を具えていて、友だちのようにつながっている。」という気持ちを込めております。
「フリースタイルを僧侶たち」の最新号が届き、拝読しておりました。
今回は高尚に、「仏教の教えにどう救われたか。」ということが掲載されていました。
実践することも仏道であり、考えて納得するまで突き詰めていくのも仏道です。
一般の方が、身近なところで実践し突き詰めていくきっかけになることをできるマガジンです。