掲示板

伝道掲示板のポスターを貼り替えました。
「たくさん泣いて転んだからこそ、優しくなることができる。」と私の人生観のようなものを掲げさせていただきました。

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煩悩

大源寺だより第7号に、「煩悩」を取り上げて原稿を書いています。
20時過ぎの帰り道に、若者のあおり運転に遭遇しました。
まさか飲酒運転ではないとい思いますが、運転免許を取り立てで高揚していたようです。私の顔を見るや「このハゲ。」と叫んできます。煩悩のうちの「貪り」かと眺めておりました。怒っては「瞋恚(いかり)の炎」になってしまいます。冷静に眺めておりました。

かくいう私も、以前は飲酒をすると絡むという煩悩に取り憑かれたものです。先日、旧友とあった折、「今は絡むことはなくなったよ。煩悩即菩提と言ってね、煩悩が仏さまのような心に行き着くことがあるんだよ。」と話していました。

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無駄骨を折り続ける。

17年前の写真です。この時だけは、真ん中に私がいました。向かって左側の和尚さまが、次に臨済宗妙心寺派の管長になられる小倉宗俊老師です。
この時は私は24歳です。「彼はいつまで持つのかな。」と誰もがお考えになりなったのですが、老師の「無駄骨を折り続けることが修行である。」のお言葉のもと、しぶとく生き抜いております。

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本来無一物

「最近は投稿が少ないね。」とのコメントをいただきました。
「大源寺だよりの原稿を書き終えたら、じっくりとやりますよ。」とお答えしました。考えすぎてフリーズしているのかもしれません。

「本来無一物」と自分の内面を見つめたら、よいテーマが思い浮かぶことでしょう。

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仏心

大源寺だよりの原稿を書いているのですが、思うように進まずにおります。
昨晩、何か参考となるものはないかと考えておりました。今朝になって外出しようとすると古い冊子が無造作に置いてありました。手に取ると、円覚寺の管長を勤められた朝比奈宗源老師の本でした。

電車の中で読んでおりました。「仏心とは元からこの世に具わるものである。」ということばかりでなく、お寺の檀家さんは、和尚さんに成仏する手助けのためについてくるのではない。今の問題を解決する手助けを求めている。」と40年以上も前に、現在のお寺の状況を言い当てておられることに驚いております。

母にこの本に心当たりがあるのか聴いたのですが、まったく心当たりがないようです。「この世は仏心に包まれている。」と信じるところに、亡き父か祖父母が見つけ出して置いていったのではと考えております。

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先月までの雨空とは打って変わったかのようにきれいな空を、朝な夕なに見上げておりました。

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七回忌

母方の祖母の七回忌の年に当たりますが、追善法要が行われることなく寂しい思いでいました。
母と二人でひっそりと七回忌のお勤めをしたところです。

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祖母の眠る高野山に思いが届くようにと、小さな卒塔婆を弘法大師の前に置いたところです。

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住職塾のお仲間の倉島さんが紹介されています。
「寺の経営面ばかりに目を奪われず、社会とどう関わるのかを具体的に示すべき時である。」とわかりやすく説かれています。

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母が活けたお花です。お題は「秋」というようです。
梅のような小さな実を大きな手で覆うかのようです。

31年前、父が亡くなってボンヤリしていたときのことです。母方の祖母が「弘法大師にひたすらおすがりしなさい。」と、大きな手にささえられることを説いていたことを思い出しました。

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うちのお寺では見ることのなくなった楓の紅葉が、瑞泉寺ではきれいに色づいていました。

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21年前に掛塔したとき、入門の意志を示すため、庭詰めの後に旦過寮という吹きっさらしの部屋で坐禅をしていたことを思い出しました。

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「ガラス戸を閉めるな。」と3回叱られても、3回閉めていたことがありました。マイペースで行動していたものです。

何年経っても、昨日のことのようです。