昭和23年に制定された「大源寺寺院規則」が時代にそぐわないことは感じていました。
①責任役員の記載がない。
②寺庭婦人(住職の配偶者)の記載がない。住職死亡後の居住権の記載がなく、退去することにつながる。
③住職が職務不能になったときの、職務代行者の記載が曖昧である。
上記の問題点が見えてきました。お世話になる寺院運営の先生のもとへ、相談に伺うところです。
自分では大丈夫と思っても、落とし穴があるものです。全国のお寺を知る先生からお知恵を拝借してきます。
昭和23年に制定された「大源寺寺院規則」が時代にそぐわないことは感じていました。
①責任役員の記載がない。
②寺庭婦人(住職の配偶者)の記載がない。住職死亡後の居住権の記載がなく、退去することにつながる。
③住職が職務不能になったときの、職務代行者の記載が曖昧である。
上記の問題点が見えてきました。お世話になる寺院運営の先生のもとへ、相談に伺うところです。
自分では大丈夫と思っても、落とし穴があるものです。全国のお寺を知る先生からお知恵を拝借してきます。
お参りされるお客様が多くなると、駐車場が必要になってきます。庭のマキ垣を切り開いて、駐車場を設置する工事をしております。
そうしてお墓の前に、永代供養墓の第2弾として樹木葬墓地を造成しようと考えております。
朝方、車で大垣駅に向かう途中、お隣の90歳のお婆さんがバス停に向かって歩いておられました。「どうぞお乗りください。」とご同乗いただきました。
こちらのお婆さんは、博学でお寺の役員をされておられました。
「工事が始まったそうやね。」と聞かれて、「お寺の門戸を広げて、皆さまにお越しいただくための工事です。」とお答えしました。
時代の流れを、敏感に察知されておられました。古くからの習わしを、どう現代にかみ砕いて伝えていくのかを学ばせていただきました。
東福寺と智積院に続いて、真言宗泉涌寺派の本山である泉涌寺をお参りさせていただきました。
泉涌寺は明治時代以前までは皇室の菩提寺であり、天皇の葬儀はこちらで行われたようです。
明治以降に皇室が仏教への信仰から離れることになっても、皇族の訪問があることを知りました。
受付におられた若い和尚さんに、余計なことを言って怒らせてしまいました。「奈良時代の7人の天皇のお位牌がお祀りされていないようですね。」とお尋ねしました。
「いろんな経緯があってのことで、意図的にお祀りしていないことはありません。」とピシャリと言われました。
歴史の流れは、いろんな角度からの検証が求められることです。
真言宗智山派の総本山である智積院をお参りさせていただきました。
母の実家が高野山真言宗のお寺で、幼い頃から高野山に何度もお参りに行きました。
弘法大師が開かれた真言宗の教えの中に、興教大師覚鑁和尚の説かれた新義真言宗の流派があり、真言宗智山派はその流れを汲むようです。
門を入って、長谷川等伯が描いた襖絵を拝見して、講堂と本堂と明王堂を拝観しました。鮮やかな色彩と厳かな空気に包まれていました。
お参りしているとき、修行僧が掃除をされていました。修行僧から、にっこりとあいさつをされて恐縮していました。
22年前、愛知県犬山市の瑞泉寺で、雲水(修行僧)として掃除をしていました。お隣りには、真言宗智山派の成田山別院があります。成田山別院にいる和尚さんに、あいさつをしたことはありませんでした。今更ながら反省しております。
いろんな仏縁を思い出しつつ、足を進めていました。
京都の東福寺までお参りに行ってきました。
塔頭寺院の即宗院で、樹木葬墓地の春季法要が行われることにを聞いて、隅でお参りさせていただきました。
うちのお寺においても、こぢんまりした樹木葬墓地を造成する予定があります。お参りされる方のお気持ちを住職が察して、その関係性を深めていくのかを学ばせていただきました。
即宗院の閑栖和尚さま(隠居された和尚さま)は、西郷隆盛の「敬天愛人とは、この大自然を敬い、他人を慈しむことである。」と説かれていました。
大自然を表したお寺の庭で、慈悲の心を説いていくために、樹木葬墓地を取り入れようと思いを新たにしたところです。
先日お参りくださった中に、思わぬ視点からお寺のあり方を切り込んでくる方がおられました。
「日本国憲法には家族という条項はない。だから、これまでの菩提寺との関係性に縛られるいわれはないのではないか。」とのご質問がありました。
「おっしゃる通りです。個人の信仰によってお寺を選ぶ時代になりつつあるのでしょう。その流れを止めることはできないと思います。」とお答えしました。
江戸時代から平成時代にかけて400年の間は、個人の信仰よりも家の体面に重きを置かれてお寺と檀家の関係性が成り立っていました。
個人の信仰を重視する現代では、その関係性はすでに揺らいでいるようです。
神戸町の観光ボランティアのご尽力により、春日神社と大源寺のガイドツアーの催しを行なうことができました。
同じ町内にお住まいの方でも、神社やお寺に足を運ぶのは儀礼のときのみで、気軽に見学をすることはありませんでした。
今回、神社とお寺が協働するかのように皆さまをお迎えして、その魅力を感じ取っていただくという歴史的なイベントを進めることができました。
お寺では、私がお話しして坐禅の体験をされて、お粥をお召し上がりいただきました。
「これまで敷居の高かったお寺に気軽に見学することができました。」とありがたいお言葉をいただきました。
こうして、「社会のお役に立つ開かれたお寺」を作り上げて行きたいところです。
横田南嶺老師の日曜説教をお聴きしておりました。
新著の「仏心のひとしずく」を紹介されてから、朝比奈宗源老師の説かれた仏心を説かれていました。
朝比奈老師は、禅の修行を積んで、年忌法要の折に仏心を説かれたときのことです。
いとこにあたる方から、「あなたは禅の修行を積まれたからわかる。けれど、一般の人には理解が難しい。」と指摘されたようです。
そうして、真宗高田派の村田静照師のところへ行き、どう説いていけばいいのかお尋ねになったようです。
「この世は仏さまの心に包まれている。しかし、とらわれの心によって疑いが生じて、仏さまの心から遠のいていく。仏心に包まれていることを信ずれば、自ずと安心感が生じる。」ということにお気づきになり、仏心を説かれました。
人間関係においても、最初のうちは、誠実に対応します。
次第に気恥ずかさが生じて、真摯な姿勢が薄らいでくるものです。そうして悩みや苦しみが生じてきます。優しい仏心に包まれていることに気づいて、おかげさまの心を持ち続けていけば、自ずと仏さまの心に近づいていくことができるのではないでしょうか。
2週間ほど前に、真宗高田派の説教使と懇親会をして、説法のことを教わりました。今から100年ほど前の偉人と同じ足跡をたどることになるのは、仏心に包まれているからです。
明日、神戸町のガイドツアーをお迎えします。
貴重なご縁を活かそうと準備をしております。
「一期一会(いちごいちえ)」の心を大切にしたい思いです。
お釈迦さまのお誕生日を祝うかのように、花が咲いていました。
花冷えと言う寒さは、今日までのようです。明日からは暖かくなるようです。
雑巾がけをしつつ、今週の予定を立てていました。