毎日のようにお客さまがお見えになります。

永代供養墓の見学にご夫婦がお越しくださいました。

 

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「本堂は新しいですね。」「ご住職はお若いですね。」ともったいないお言葉をいただきます。「本堂が建って80年近く経ちます。私は今年後厄で何も起こらないことを願っています。」とお話ししていました。

将来につながる思いを抱いていると、若く映るのかもしれません。

 

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戒律

「戒律のはなし」という本を読んでいます。

 

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「お坊さんがお酒飲んでいいのか。お肉を食べていいのか。」という質問をよく受けます。

「本当はいけないことですが、懺悔しているのです。」とお答えします。

戒というのは、お坊さんや在家信者が守るべきもので、「しないようにしよう。」という習慣を持つものです。律とは、集団生活を維持するために罰則規定がついているものです。

私は今ではあまりお酒を飲みません。10年ほど前は、繁華街に足を運んだものです。

「お坊さんが、賑やかなお店に来ていいんですか。」と聞かれます。私は「あなたのような売れっ子が、どう接客するのか視察に来るんです。」と答えていました。

戒めを守ることはできません。守ることのできない気持ちを、どうコントロールするのかが問われるのです。

本堂から庭を眺めていると、お隣さんと目が合いご挨拶をしました。

幼ななじみで、よく遊んでくれた先輩です。「かずくん。きれいになったね。」と声をかけてくださいました。

 

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本堂にご案内しました。30年ぶりに入られたようです。

「昔は、庭に大きな鯉のぼりがあったね。」と振り返っておられます。

祖父が跡取りができたと喜んで、庭に上げていました。祖父が亡くなってからは上げていません。

 

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「ゆったりとしたいい空間だね。」と感慨深そうでした。

これまで作ってきた壁をなくしたから、新しいものが見えてくるようです。

 

ドウダンツツジ

庭の掃除をしていると、ご近所のお宅のご親戚のおじいさんがお越しになりました。

80歳代ですが、今なお現役で、お仕事をされています。「庭がきれいになったね。」とお声をかけてくださいました。

「このドウダンツツジは、数年前は元気がなかった。私が肥料をあげて元気になったよ。」と語られました。

 

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戦後、農地解放の折に、本家のおじさんが財産をなくされて、お父さんが兄弟全員に自分で生計を立てるように指導されたようです。

腰を低くして話されました。

お坊さんやお役人とされる人は、腰を低くして話されると、上からの物言いになってしまいます。

先日のこと、親しい業者さんが、「〇〇さん昇進したら、踏ん反り返っていて、あいさつもしなかったよ。大丈夫かな。」と話されていたことを思い出しました。

「どれだけ年を重ねて大きくなっても、腰を低くする。」ことを、おじいさんやドウダンツツジから学びました。

 

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五月(サツキ)

サツキツツジが咲き始めました。五月(さつき)の名のように顔を見せてくれます。

 

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檀家さんのお宅を回って、お知らせを配っていました。若い時ほど偉そうな態度をとっていたのですが、今では世間話をして意見をお伺いしています。

あるお宅では、最初のうちは「和尚さん。」と呼んでおられましたが、次第に幼い頃のように「かずくん。」と呼ばれます。「これまでは葬式費用がかかったね。かからないように頼むよ。」と思うところを吐露されました。

こまめに足を運んでいるうちに、宗教者として求められるものが見えてきます。権威主義というものは、うちのお寺には馴染まないようです。

役僧制度の衰退

今となっては昔のことですが、10年ほど前は、ご葬儀で菩提寺の住職が勤める導師の脇に、三人なり五人六人の和尚さんがついて、お経をあげてお弔いをしたものです。

メンバーの構成は、大きなお寺の場合は、従業員の和尚さんが担当しました。組合を作って相互に依頼することもありました。

「チーン、ポン、ジャラン」という鳴らし物を担当して、お経を合唱したものです。私は鳴らし物のテンポをずらして、葬儀の後に導師から叱られたものです。

 

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それがなぜ昔のことになったのかは、家族葬が多くなって導師一人でのお弔いが増えたこともあります。

ご遺族が、脇につく和尚さんを呼ぶことに価値を感じなくなったことにもあるのではないでしょうか。

10年前、私は役僧に呼ばれていましたが、どこか違和感を感じていました。役僧に呼んでもらうために、大きなお寺の住職にはご機嫌を取ります。お盆や暮れには、家族総出でご挨拶に行く。「まるで奉公人のようだ。」と感じました。

檀家さんも和尚の懐具合のことはご存知で、「あの和尚さん派遣切りにあったね。」と噂されていました。

そんなわけで、多くの和尚さんが脇に控える役僧制度は、減って行くことは目に見えていたのです。

一人の僧侶でお弔いをすると、大勢の僧侶でお弔いをすることのどちらかがいいのかは、ご遺族にお決めいただき、僧侶は形を強要しないことが求められているようです。

18日間にわかる庭の整備工事が終わりました。お世話になった皆さまと記念撮影をしています。

 

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駐車場の整備と樹木葬墓地の準備が整いました。

 

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昔はこの付近で、掃き集めた落ち葉でたき火をしていたものです。31年前は、鮎をアルミに包んでたき火の中で温めて食べたものです。

庭を維持管理するにも持続性が求められます。多くの皆さまのお役に立ち、後世に伝えるものへとしたいところです。

皆さま、いつでも足をお運びいただき、心ゆくまでご鑑賞ください。