お寺の隅に石碑があります。
30年前まで、大通り沿いに道しるべに備え付けてありました。どなたかが破損されたことがあり、ひっそりと今の位置に配置しました。
かつては遠くからのお客さまは少ないものでした。今では毎日のようにお客さまがおいでになります。
道に迷われないように、目印が必要になるのです。
お寺の隅に石碑があります。
30年前まで、大通り沿いに道しるべに備え付けてありました。どなたかが破損されたことがあり、ひっそりと今の位置に配置しました。
かつては遠くからのお客さまは少ないものでした。今では毎日のようにお客さまがおいでになります。
道に迷われないように、目印が必要になるのです。
庭の樹木が、強風で揺れています。
木が揺れているのか、自分の心が揺れているのかと考えています。
横田南嶺老師の日曜説教をお聴きしていました。
禅においては、自分の心の中に清らかな心が宿っていることを信じる「信心」というものを大切なします。
心は手のようなものであり、ここの働きがなければ、清らかな心に気づくことはできません。
臨済禅師は、自信という言葉を「自らを信じる。」ととらえて、「自らを信じることができなければ病である。」と説かれました、
私は自らを信じることができずに、大源寺だよりの原稿を書くことが滞っています。しかし、自らを信じていれば、書き上げられると思うと、自信が湧いてくるようです。
横田老師は、「すばらしい宝の山にいて、気づくことができない。」として、最近のご自身の体験を語られました。
私は「こんな田舎の小さな寺にいて、誰もこない。」とぼやいていたものです。最近になって、毎日のようにお客さまがおいでになり、うちのお寺との縁を深めたいとおっしゃるのです。自分で宝の山に気づくことがができずにいたものです。
横田老師にお会いしたとき、「高等布教講習会で2回で適任証を受けられなかったくらいで諦めてはいけない。」と自信を持つように指導されたことを思い出しました。
日曜説教をお聴きするたびに、自分の心に自信を取り戻すような思いが湧いてきます。
以下より引用させていただきました。
http://www.engakuji.or.jp/blog/
弟夫婦が母にお祝いの花を持ってきてくれました。
母は梅雨をイメージする花を生けています。
臨済宗妙心寺派管長の小倉宗俊老師のインタビューDVDを拝見しております。
平易なお言葉ですが内容は奥が深くて、理解することに22年の歳月がかかりました。
居眠りをしていた雲水の時のことを反省するばかりです。
老師が「困っている人がすぐに行きなさい。」と先代から指示された思い出話を語られていました。
こういう教えが、知らず知らずのうちに、今の住職人生に活かされているようです。
神戸町仏教会の役員会で、町内の浄土真宗のお寺にお伺いしました。
仏教会の活動が停滞しており、今後2年のうちに大会を開催したいという意見がありました。
「仏教の教えをわかりやすく伝えて、知名度の高い和尚さんを講師にお呼びしよう。」という意見があり、親しい和尚さんが思い浮かびました。「漫才コンビの和尚さんがいるらしい。」という意見もあり、どなたのことかすぐにわかりました。
この5年の間に住職塾などでご縁を深めたことが、地元でお役に立てるとはうれしいことです。交渉役となり荷の重さも感じるところです。
四国八十八ヶ所のお寺の土をいただき、本堂の弘法大師の前にお供えして、これからどうさせていただこうかと思案しております。
うちは臨済宗のお寺ですが、母の実家は真言宗で高野山に何度もお参りしております。親しくさせていただく人に、お父さんが高野山の麓のご出身という方もおられます。
弘法大師には引き寄せられているかのようです。
サツキツツジの花の上にチョウが止まっています。穏やかな朝でした。
先日受診した人間ドックの結果が届きました。正常値が並んでいた中に、「精密検査が必要。」という項目があり驚きました。「胃部粘膜不整」と書かれています。
すぐに胃カメラの検査を予約して、受診を終えました。結果は「全く正常」です。
バリウム検査がうまくいかないこともあるのでしょうか。きれいに撮影できないようですね。
アジサイを撮るには、夕暮れ時が映えるようです。
今日お越しくださった方は、「静かなお寺ですね。」と感想を述べておられました。「暗くなると暴走族が走るくらいですね。」と、つい余計な一言を言ってしまいました。
反省をしつつ、樹木に水をまいております。
中日新聞の投書欄に、福祉の仕事への思いが語られていました。
障がいを持つ方と接するとき、「してあげてる。」とか「甘やかされている。」という考えが、気づかないうちに言葉や態度に出てしまうことがあります。
そんな思いを感じ取って、傷付く方が多いのは悲しいことです。
「小さな親切、大きなお世話。」となることさえあります。
空気のように透明な心でいることが、求められるようです。