神戸町の観光ボランティアスタッフの引率で、うちのお寺に大勢の方がお見えになりました。

本堂をご案内して、甘茶をお飲みいただきました、

毎日のようにお客様がお見えになります。「行列のできるお寺」に近づいているようです。

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うちのお寺では初の試みとなる「寺カフェ」を開催しました。

 

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多くの方がお集まりいただき、楽しい一時をお過ごしいただきました。

お釈迦さまのお誕生日が近いので、お像に甘茶をおかけする台を設置して、皆さまをお迎えしました。

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京都の大本山妙心寺から届いた機関紙「正法輪」を拝読しています。

 

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巻頭の管長さまのお言葉に、「せっかく寺に生まれていながら自坊での雛僧教育が十分に行われておらず、専門道場は住職養成のための学校と化しており、」と厳しく訓戒されています。お寺に生まれ育った者として、頭の痛い思いです。

「住職一人ひとりが禅僧としての襟を正し、」とあり身が引き締まります。

「禅僧として襟を正す。」とは広く解釈できます。専門道場でやっていたことや先代からの前例を踏襲すること、あるいはお寺を支える檀家さんを教え諭すことなど、短い言葉で語ることは難しいことです。

お寺の状況や周囲からの要望も踏まえて、コツコツとやっていくことが禅僧の襟の正し方なのでしょう。

納骨堂や樹木葬墓地の見学においでになる方が増えましたが、「私が息を引き取ってからのこともお願いしたい。」というご依頼があります。

端的に言えばお経を読むばかりでなく、葬儀の喪主の役割やその後の追善法要も行なってもらいたいというご要望です。

そのようなご要望にお応えできるようになればと、東京の三田まで行き、「弔い委任講座」を受講してきました。

 

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「死後事務委任契約」という法律の用語があります。お坊さんが法律家のように、死後のことをお引き受けするのは、ためらわれるところです。いろんな業界との協力関係によって、依頼者のご要望にお応えしていくという大枠を学ばせていただきました。

「お坊さんは朝刊のようだ。袈裟着て経読む。(今朝着て今日読む)」という皮肉のダジャレを、聴いたことがあります。法衣を着てお経を読むばかりという世間からの批判もあるのでしょう。

老病死に寄り添うことは、僧侶の元々の役割であることに違いありません。

「小さな親切、大きなお世話」とならないように、日頃からのコミュニケーション力が問われるところです。

中日新聞朝刊には、文化欄があります。旧知の和尚さんが寄稿されていました。

人生経験を積まれた方が、仏道修行をされるのは尊いことです。

今後の展望をお示しくださる人生の諸先輩がお越しくださることを願っています。

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「仏教抹殺」という本を読みました。

明治時代の初めに、廃仏毀釈という集団ヒステリーのような動きがありました。

政府は、「神社とお寺を切り離せ。」と下命したのが、巷ではお寺や仏像を破壊してしまうという動きになってしまったのです。

それまで力のあったお寺や僧侶に対する批判的な感情もあったのでしょう。

これが現代にも通ずるところがあって恐ろしい思いです。「お寺は税金がかからない。」「お坊さんはいい生活をしている。」という批判的な感情がマグマとなって、「お寺などはいらない。」という動きにもなりかねないと思います。

お寺の役割を考えて、仏様の教えでよき方向に導くことが大切ではないかと考えています。

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