アジサイ

庭に咲いていたアジサイを、玄関に活けたところです。
蒸し暑い梅雨時に、涼しさを感じます。

住職塾

未来の住職塾NEXTの講義をオンラインで受講しました。
お寺のことをわかっているつもりで、実はわかっていないことが多くあります。
うまくいかない原因を、檀家数などのお寺の経済的規模や、新型コロナウイルスのせいばかりにすることなく、どう分析して切り開いていくのかを、また新たに学ぶことになります。

大源寺だよりの新号のゲラ刷りが届きました。
今号は文字数が多くなって、字が細かく収まっています。文字数を少し減らして、読みやすいものにしていこうと思います。

今年のお盆の施餓鬼法要は、新型コロナウイルスの危険を避けるため、「無参拝法要」にしようと考えています。住職ひとりでお経を読んで、皆さまのご先祖を供養して、平穏な日々が戻るように願います。

法要を執り行なうことができないときに、仏教の教えが多くの人に伝わることを願っております。

樹木葬墓地にお花が手向けられていました。毎日のようにお参りくださり、ありがたく思います。

 

アジサイの花が、きれいに咲いています。いろんな色彩に包まれています。

毎日のように、永代供養墓にお花が手向けられています。ここに眠る多くの故人はきっと喜んでおられることでしょう。

観音さまも微笑んでおられるようです。

本堂の濡れ縁を、雑巾がけしていました。
しばらくして掃除しないと、ほこりがたまっていきます。いつでも心地よくしておきたいものです。

夕焼け空がきれいで、写真に収めたところです。まるでご来迎のような雰囲気でした。

どなたかが永代供養墓にお参りくださいました。お菓子がお供えしてありました。

 

 

お客様がいつお越しになってもいいように、掃除をしております。
アジサイの花がきれいな色になってきました。

 

本堂を黙々と掃除しております。
例年に比べてお客様がお越しになることが減りましたが、いつお越しになってもいいように、きれいにしております。

空にはきれいなお月さまが出て、地面を照らしています。

この時季になると、12年前の苦い思い出が蘇ってきます。京都の妙心寺で、二週間の布教講習会から帰ってきて、ほっとしている時に、勤務していたお寺の住職から、「お前は受からなかったよ。日頃の行いが悪いからだよ。」と罵倒されたことがあります。すべての意欲を失いました。

「月落ちて天を離れず。」という禅語があります。いろんな解釈があるのでしょうが、月の光が衰えても、天を離れることなく、また地を照らし続けるということと解釈しています。

いったん自分の思いは弱くなりましたが、離れることはなく、また強く照らし出しているようです。