鎌倉の円覚寺へ行って、夏期講座を受講してきました。
一昔前までは、自分の修行した僧堂や近隣の僧堂の老師のお話しをお聴きすることはありましたが、遠く離れた鎌倉の円覚寺まで行って、横田南嶺老師のお話しをお聴きすることなどは想像もできないことでした。

そんな障壁を打ち破ったのは、19年前に京都の妙心寺で受講した高等布教講習会でお世話になった松原哲明和尚さまのお考えに共鳴したからでした。
東京都世田谷区野沢にある龍雲寺の東京禅センターで、松原和尚さまの法話勉強会に参加して、埼玉県の平林寺の松竹寛山老師にもお世話になり、地域のしがらみに縛られていてはいけないと思いました。
その後、心の病の療養中に、松原和尚さまが急逝されて、呼ばれもしないのに、東京都港区三田の龍源寺までお葬式に行きました。医師や母からは止められたものです。
松竹寛山老師のお隣りに、薄茶色の法衣を着られた老師さまがおられましたが、5年経って横田南嶺老師とわかりました。
松原和尚さまが、それまでのしがらみから離れて、松竹老師や横田老師を見習って行きなさいと伝えてくださったかもしれません。

今日お話しをお聴きして、「何でも知りたがろうとするのが人の性質であるが、知らないこともまた親切である。」と教えてくださいました。駒沢大学の小川隆教授は、「不知こそ最も親切である。」と教えてくださいました。
40年前の父の突然の死の後で、近所の和尚さまが、あれこれと言われたのですが、余計なお世話でした。その後、その和尚さまがアルツハイマー病で引退されたのですが、ご近所の方は、「無益な殺生をするからだ。」とあれこれ言われますが、これもまた余計なお世話であり、知らないことこそが親切であるのです。
横田老師は、「父母未生以前の本来の面目」という夏目漱石の門にも出てくる禅の公案を言われました。祖父母や曽祖母は貧しいながら必死に生きてきた足跡を、少しずつたどって。本来の面目を探索していこうと思います。
うちの本堂には、曽祖父の布教師の適任証や、横田老師や松竹老師からの書状を掲げています。少しずつ、面目をたどっていきたいと思いました。
松原和尚さまのご子息にお会いしてご挨拶しました。この19年の間、お寺の世界でうまくいかないと、役所へ行ったりと方向性が定まらないと批判され続けてきましたが、19年前からのご縁が迂回しながらも続いているわけです。
これからも横田老師のお話しをお聴きして、自分の心の中を整理して、布教に励んでいきたいと思います。
