福聚海無量

午前中は岐阜市まで四十九日の法要に行きました。
経本をお持ちして、ご家族と唱和しました。昨日、鎌倉の円覚寺で200人以上のお客さまと唱和して、多くの信仰を集める教団は、大勢でお経を唱和していることが多いのではと思いました。
これからも、唱和を進めていきたいです。

夕暮れ時から、庭の掃除をしました。出張が続くと、草が伸びてきます。


根気よく草取りをしていました。

床の間のある部屋でゆっくりしていますが、「福寿海無量」とあります。観音経では「福聚」ですが、同じ意味なのでしょう。「善い行いを積み重ねて、幸せは限りなく増えていく。」と解釈しております。

母には「お酒の飲み過ぎで寿命を縮める。」と説教されています。

横浜市 観音寺

円覚寺の夏期講習を終えて、建長寺をお参りして、浄智寺をお参りして、北鎌倉駅から住職塾でご縁のできた西郊良俊さんがご住職をされる、横浜市都筑区の観音寺をお参りさせていただきました。

西郊さんとは同い年で、10年前に親しくなってから情報交換をさせていただいております。

小さな兼業寺院から、お寺から給料を頂けるような規模になると、檀家さんや近隣のお寺との関係性は変化してくるものです。
西郊さんのように、大規模なお寺のマネジメントをされて、住職になられた経歴の方のお話しをお聞きすると、これまでの自分の視野か狭かったことを思い知ることが多くありました。

同い年はいいですね。同級生のように何でもお話しができます。20年早く知り合っていたら、もっと視野が広がっていたと思います。

円覚寺

円覚寺の夏期講座に出席するために、雨の中お待ちしております。


こちらの山内は、樹木の多いことです。横田南嶺管長猊下が率先して作務をされているのがよくわかります。

円覚寺

鎌倉の円覚寺へ行って、夏期講座を受講してきました。
一昔前までは、自分の修行した僧堂や近隣の僧堂の老師のお話しをお聴きすることはありましたが、遠く離れた鎌倉の円覚寺まで行って、横田南嶺老師のお話しをお聴きすることなどは想像もできないことでした。

そんな障壁を打ち破ったのは、19年前に京都の妙心寺で受講した高等布教講習会でお世話になった松原哲明和尚さまのお考えに共鳴したからでした。
東京都世田谷区野沢にある龍雲寺の東京禅センターで、松原和尚さまの法話勉強会に参加して、埼玉県の平林寺の松竹寛山老師にもお世話になり、地域のしがらみに縛られていてはいけないと思いました。

その後、心の病の療養中に、松原和尚さまが急逝されて、呼ばれもしないのに、東京都港区三田の龍源寺までお葬式に行きました。医師や母からは止められたものです。

松竹寛山老師のお隣りに、薄茶色の法衣を着られた老師さまがおられましたが、5年経って横田南嶺老師とわかりました。

松原和尚さまが、それまでのしがらみから離れて、松竹老師や横田老師を見習って行きなさいと伝えてくださったかもしれません。

今日お話しをお聴きして、「何でも知りたがろうとするのが人の性質であるが、知らないこともまた親切である。」と教えてくださいました。駒沢大学の小川隆教授は、「不知こそ最も親切である。」と教えてくださいました。

40年前の父の突然の死の後で、近所の和尚さまが、あれこれと言われたのですが、余計なお世話でした。その後、その和尚さまがアルツハイマー病で引退されたのですが、ご近所の方は、「無益な殺生をするからだ。」とあれこれ言われますが、これもまた余計なお世話であり、知らないことこそが親切であるのです。

横田老師は、「父母未生以前の本来の面目」という夏目漱石の門にも出てくる禅の公案を言われました。祖父母や曽祖母は貧しいながら必死に生きてきた足跡を、少しずつたどって。本来の面目を探索していこうと思います。

うちの本堂には、曽祖父の布教師の適任証や、横田老師や松竹老師からの書状を掲げています。少しずつ、面目をたどっていきたいと思いました。

松原和尚さまのご子息にお会いしてご挨拶しました。この19年の間、お寺の世界でうまくいかないと、役所へ行ったりと方向性が定まらないと批判され続けてきましたが、19年前からのご縁が迂回しながらも続いているわけです。
これからも横田老師のお話しをお聴きして、自分の心の中を整理して、布教に励んでいきたいと思います。

金沢市 乗円寺

金沢市での葬儀を終えた後、未来の住職塾やまいてらでご一緒した福田 乗さんがご住職をされる真宗大谷派の乗円寺をお参りさせていただきました。

ご住職は出張されていて、坊守さんが案内してくださいました。

室町時代の延徳元年(1489年)の創建で、536年の歴史を持つ古刹です。
広々とした玄関から入って、本堂や納骨堂や書院やお墓を案内してくださいました。

古くから伝わる上品な雰囲気が境内全体に漂っていました。こちらの門徒さんは皆さま安心を得られていることと存じます。

寺報を交換させていただきました。拝見していると、ご子息が私が卒業した大学に入学されたようで、不思議なご縁を感じていました。

どこかでつながっているのがお寺の世界です。

敦賀駅

法衣を着ながらも、童心に帰って北陸新幹線の写真を撮っています。


広い車内で、ゆったりとタブレットを見ています。
若い頃に戻ったような気持ちでいます。

米原駅

米原駅から敦賀駅までしらさぎ号で向かいます。
28年前に、弟が富山大学に入学するので、大学のキャンパスを見に行って以来に乗車します。

寒暖差があって心身が不安定でしたが、晴れ渡ってのびやかに過ごしています。

本堂から庭を見ると、サツキが咲いていますが、少し萎縮しているようです。去年に切り過ぎたかもしれません。

ゆっくりと庭掃除をしていると、電話がかかってきて、金沢での葬儀の依頼がありました。
金沢へ行くのは、28年ぶりになります。元気なうちはどこへでも行きます。

武則天

花園大学の公開講座に参加してきました。
今回の講師は柳幹康先生で、中国の唐の中期の武則天(則天武后)の時代に、禅の教えが庇護された時代背景や、武則天の統治の正統性を高めていくために、仏教の教えを引用したことを学びました。

儒教に影響を受けた中国や日本では、女性が君主で統治者であることは稀なことです。住職塾や近隣のお寺では女性住職とお会いすることがありますが、臨済宗のお寺では多くはありません。

そういう有利ではない背景のもと、君主であり統治者を16年にわたって在位したことに、仏教の教えを利用したことを学びました。

33年前の高校の世界史の授業で、武韋の禍と学びましたが、功罪半ばするところがあるようです。

私は20歳で住職になって、お坊さんの世界からは、「修行も短いくせに、晋山式しておこがましい。」と言われて、ご近所からは、「おじいさんは東大出で教員して、勲章をもらった。お父さんは養子で自死した。いまの住職は定職につかずふらふらしている。正統性はひとかけらもない。」と散々な言われようをしたものです。

ある老師さんにお会いした時、「俺も最初はいろいろ言われたよ。」と教えてくださいました。

武則天のように統治のためのプロパガンダではなく、仏教者本来の安心と抜苦与楽を説いていけば、皆さまのご支持がついてくると思い後にしました。

総会

一昨日、近所のコミュニティセンターで、うちのお寺の属する地域エリアの臨済宗妙心寺派岐阜西教区第3部の総会がありました。
部屋へ入ろうとすると、「西都区第3部会」と表示されています。学校のテストならはねられますね。

以前は質問や発言をしていたら、議事妨害という批判を受けて何も発言しないようにしています。
同じ宗派は序列があって、余計なことは言わないのがよしとされています。宗派の伝統もありますし、岐阜県独特の保守的な雰囲気があります。

他宗派との交流がある仏教会や、船井総研などの寺院経営研究会では発言してきます。

この雰囲気は当分変わっていきませんね。この空気の中で工夫していくしかありません。