インタビュー

暑い一日でした。こんな暑い中、庫裡でインタビューがありました。
私の宗教観を語って、記事になりお役に立てるかと心配でしたが、無事に1時間の対談が終わりました。

紆余曲折の多い人生で、還俗を考えて思い止まったことを聞かれることが多くあります。

名古屋の区役所へ行っていた時のことです。事務作業などはうまく進むことはありませんでした。
お酒を飲んで、生活保護窓口にくるおじさんがいて、私がお相手しました。

「おれが65歳で年金を受け取る前に死んだらどうしてくれる。」という質問に「その時は、ぼくがお経をお読みします。」と言うとにっこりされました。
「オレ来月から年金もらえるんだよ。お前知っとるか?」という質問に、「ぼくは予言できますから。」というと爆笑されました。

「一休さんは、本当に橋の真ん中を歩いたのか?」という質問に、「一休さんは酒も異性も大好きだったんだよ。おじさんも好きでしょ。ぼくも好きだよ。今度、ぼくと主査に教えてくださいよ。」などと、おおよそ役所の職員にふさわしくない言動をしていました。

しかし、それまでお話しすることのなかった困っている人たちが、仏様の慈悲を求めて、私に取り次ぎ役を求めて安心を得ておられる姿を拝見して、お坊さんとして再起動しようと思った14年前のことをインタビューでお伝えしました。

問題発言をしないかと、母は心配していました。途中つまるところがありましたが、無事にお答えできたと思います。

いつも横田南嶺老師のご法話をYoutubeで拝見して、自分の宗教観をたどたどしくも、お伝えすることができました。

露堂々

朝方に、本堂で法事の準備をしていると、スマホにYouTubeからの通知がありました。円覚寺の横田南嶺老師のライブ法話が始まって、テレビで拝聴しました。
横田老師の後ろには、「露堂々」という墨蹟の掛け軸がありました。和歌山県由良の興国寺の目黒絶海老師が書かれたようです。

「つゆどうどう」ではなく「ろどうどう」とお読みします。
先週は雨が降り続いていました。雨露が嫌だ嫌だと言うのではなく、雨露と共生する生き方を説かれました。

先週、にわか雨が降ってきて、うっかり窓を開けたまま本堂でお客様のお相手をしていたら、窓から雨水が吹き込んできました。
母は、何かの一つ覚えとばかりに窓を開けておいた私を責めますが、その後雑巾がけをして、今まで掃除することが少なかったところがきれいになったものです。
障子や畳がない洋室でしたから、被害はありませんでした。

嫌だ嫌だと思っていた雨露も、ありがたいと思ったものです。

そうして、夕方涼しくなってから、床の間の掛け軸を「面前の露堂々」と言うものに替えました。

書棚に無造作にあり、SNS等でどなたの墨蹟がお尋ねしたところ、大観文殊老師のものであることが判明しました。江戸時代後期の天保の頃に、南禅寺の僧堂を開かれた老師さまでした。

いろんなご縁が集まってきます。

お経の練習

弟一家がやってきて、母の誕生日のお祝いをしてくれました。
甥っ子2人は、本堂でお経を読む練習をしています。
あとどれくらいで声を上げてお経をお読みできるか楽しみですね。
私のお経の癖を直しておかないと、甥っ子にまでマネすることになりますから、おじさんも奮起です。

神戸町仏教会

神戸町仏教会の会長を拝命して1年が経ちます。
何かと不安はありますが、無事に会長の仕事を遂行しております。
仏教会の総会があり、神戸町内の小料理屋さんに来ました。

私以外は浄土真宗のご住職ばかりです。最初にお会いしたご住職に、先日に大谷派のご住職とご一緒したことからお話ししました。

住職になったばかりは、宗派の異なるご住職との交流はためらいましたが、無難にお話しできるようになったのは、歳を重ねたからかもしれません。

今後どのように活動していくのか議論をしていました。
海外交流の経験はありませんが、異宗派交流は無事にこなしています。

葬式仏教価値向上委員会

東京の芝にある仏教伝道会館へ行き、寺院デザインの薄井 秀夫さんが主宰される葬式仏教価値向上委員会の勉強会に出席してきました。

今日の講師は、宗教情報センターの藤山みどり先生でした。

「人は亡くなってから、どこへ行く。」とは、私に課せられた一生の命題です。
7歳の時に母方の曾祖父が亡くなって、9歳の時に父が亡くなって、「亡くなった人はどこへ行くのか。」という命題を与えられました。
「よそのお寺に行かないと、キミのお寺の施餓鬼はできなくなり、お寺は成り立たない。大源寺は潰れるよ。お父さんやおじいさんは極楽に行けないよ。」と近所の和尚さんに脅迫されたものです。

実はこの言葉には誤解があり、臨済宗ではお亡くなりになった後、極楽ではなく涅槃の世界に行かれるという教えなのですが、片田舎のお寺にまで伝わっていることはありませんでした。

修行に行くと、要領よく機敏に動くことがよしとされて、動きの悪い私は戦力外で、死んだらどこへ行くのか教わったことはありませんでした。かっこいい車に乗って、ゴルフを嗜むことがよしとされて、仏様の名前より車の名前を覚えたものです。(私はゴルフはしません。)

そんなわけで、住職になってご葬儀でお経を上げて、引導をお渡ししても、この功徳が故人に届くか、故人を涅槃の世界にお導きできるのかジレンマを抱えていたものです。

今日お話しを聞いて、実際に一般の方が知りたいのは、故人がお亡くなりになった後にどこへ行くのか、生まれ変わりはあるのかということにあると知りました。

最近、直葬や家族葬が多くなり、「けしからん。」と言う意見がありますが、いろんな事情があり、仏教の宗教的な意義が伝わっていないことが原因だと思います。ろくに宗教的な意義を伝えず、クレームを言ったりしていては、「面倒だから葬式はやめておこう。家族でゆっくり偲ぼう。」ということになります。

今日の勉強会を転換点に、宗教的な意義を伝えていこうと思います。私はお経も説法もうまくありませんが、地道に伝えて行きます。

素粒子論などの科学的なお話しもありました。18年前に松原哲明和尚さまと柳澤桂子さんの対談をDVDでお聴きしたことを思い出しました。

講義後の懇親会で、お隣りの香川県の真宗興正派の88歳のご住職とお話ししていると、以前に松原哲明和尚さまが香川県のお寺までお越しになり、「親鸞聖人と信心」についてお話しをされたそうです。博学な老住職は、禅宗の六祖慧能禅師のこともご存じでした。

30年前に、大学進学を機に東京に出て来た時は、今は認知症で引退された和尚さんに、「お母さんに余計な金を使わせるドラ息子。」と批判されたものです。19年前から2年間、松原哲明和尚さまの法話勉強会に参加したことも、よくは言われませんでした。

こうして、しょっちゅう上京して、仏教の教学やお寺の経営を学んでいるのは、30年間の流れがあるからです。
松原哲明和尚さまの墓前で、元気に前向きに過ごしていることをお伝えしていきたいです。

大垣市での葬儀

大垣市にあるメモリアという葬儀社のホールでご葬儀があり、こちらのお部屋で待機しております。
こちらのお部屋は、23年前に遠縁のお家の葬儀があり、客僧として呼ばれた時に初めて入りました。
葬儀社は栄枯盛衰が激しいようで、当時の葬儀社は今はメモリア葬儀社の一部になっているようです。

お若い女性担当者がご挨拶にお越しになりました。昔はベテラン司会者が、タバコを吸って世間話をしながらの打ち合わせでしたが、今では接遇がきっちりしていますね。ただ、人手不足で、こちらのホールを2人で切り盛りされていて、体力と忍耐力がいるようです。

私は、「葬儀の所要時間は40分です。」と話していましたが、50分かかってしまいました。また、うっかり打ち合わせと異なることがあり、司会者からご指摘がありましたが、すぐに軌道修正しました。
大らかな地方都市ですので、クレームがなく滞りなく進みました。

今では葬儀を1人で行うことが多くなりました。昔は、脇僧で行くと、鳴らしもののタイミングを外して、控室は説教部屋となり、導師の法衣をたたまないといけませんが、私は雑でシワシワにしてしまうので、手際のいい仲間がいつもたたんでいました。

少人数の僧侶がいいのか、大人数の僧侶がいいのか、それぞれのお気持ちがあるかと思いますが、私としては、1人でゆったりとお経を上げてお弔いしたいと思います。

井出さんがお越しくださいました。

まいてらやお寺のホームページの管理でお世話になっている一般社団法人お寺の未来の井出悦郎さんが、雨の中遠路お越しくださいました。

12年前に最初にお会いして、講義を聴いていると、次の言葉がスラスラと淀みなく出てこられて、頭脳明晰の方だと驚きました。お寺の社会を、きめ細かく分析されているのに感銘して、すぐに未来の住職塾でお世話になることを決めました。

今日、本堂をご案内してお話ししていると、物事を察する洞察力に驚くばかりでした。

1時間半ほどお話しして、私の思うところを汲み取って、アドバイスしてくださいました。
井出さんとお会いする13年前は、帳簿の付け方も知らず、給料から所得税を源泉徴収することも知らず、ホームページもなく、お寺にお墓もなく、何もない状態でしたが、厳しいコメントと伴走型の支援により、ここまでくることができました。

次は、いかにご縁のある人に仏さまの教えをお伝えして安心に導いていくのかが問われてくるようです。

多くは人間の心が生み出していくことを、この13年の間に学びました。あと20年いや30年は住職を続けることになりそうで、多くの人を教化していきたいと思います。

花園大学

京都の花園大学へ行き、公開講座を受講してきました。
うちのお寺の近所では、檀家20軒もないような小規模のお寺で、教員や公務員をしながら、年に数回もないお葬式と、近所のお寺の行事に参列してお坊さんをすることが、功徳を積むこととされて、私もそのように生きてきましたので、あまり仏教の基礎固めができないままの見切り発車で住職人生を過ごしてきました。

50歳を前に基礎固めをしようと、花園大学の公開講座を受講しています。

今日は、妙心寺派の野口宗務総長のお話しがあると参加しましたが、お忙しいようで、ピンチヒッターで西谷功先生のご講義でした。

仏像のご尊顔の変遷という題で、1時間ほど講義をお聴きしました。
古代インドの仏像は、ギリシャの彫像のようにボディラインがくっきりしていることが多いです。中国や日本の仏像は装束を着てゆったりした姿があります。
また、古代インドは髪を後ろで束ねていますが、日本ではパーマのような螺髪(らほつ)が多くあります。

仏像のできた地域性によって、変遷してくるものですね。インドのガンダーラで仏教が発展して、仏像ができたようです。生きているうちに行ってみたいですね。

13年ほど前に、頭の上にせんとくんのようなコブがあり、脂肪腫でした。今は除去しましたが、これも仏様のようなものかもしれません。
この頃、今より10キロ痩せていて、ぴちぴちの洋服を着ていました。「古代インドの仏像を模倣したんです。」などと適度なことを言っていました。

うちのご本尊の十一面観音さまは、古代インド型か中国型かと考えながら、帰路でこの文を書いています。

森篤史社長がお越しくださいました。

お寺専門でITとマーケティング支援をされる森 篤史社長が、雨の中遠路お越しくださいました。
お寺をご案内して、その後応接間で2時間ほど意見交換させていただきました。
私などは、同じことを繰り返すルーティンワークをしていますが、森社長は未来を見据える慧眼をお持ちで、聞き入っておりました。
片田舎にあるお寺では、情報を発信していかなくては新しいご縁は生まれず、寂しい空間になってしまいます。
いろんなお知恵をいただいて、諸行無常の世の中でご縁を引き寄せていきたいと思います。

信教の自由

見慣れない車が入ってきて、駐車場をのぞくとご見学のお客さまでした。
本堂にご案内してお話しをしておりました。

大まかに言えば、嫁いできたお家の仏教の宗派が合わないということです。曠然苑と聞いて、臨済録の言葉とわかるほどの博学のお方でした。宗派の教義よりは、その地域ごとの習慣に違和感があるようです。
母は真言宗のお寺から嫁いできましたが、年中行事の折のお斎の準備で、手を焼いていました。「臨済宗の作法では、お膳にラッキョを入れてはいけない。」そして、私が小学生1年生で得度を受けさせると決められて、びっくり仰天していました。
「これが臨済宗の習わしだよ。」と言われたら、何も言えません。

その後、私が30歳前後に、よそのお寺にお手伝いに行ったとき、臨済宗でも地域習慣の違いがあり、「親が甘やかすから、息子はうつ病になる。」と言われたものですが、祖母は、「ごめんね。ごめんね。」と臨終の際に言っていたものです。

私はお客さまに、「合わないと思う組織に属していてもストレスを感じるばかりか不幸になります。同じ宗派でも住職によって対応が異なります。憲法で保障された信教の自由があるので、もしうちのお寺がいいと思われるならばお越しください。」とお伝えしました。

「嫁してはその家に従え。」と時代劇の大奥でのセリフにありました。私もあれこれ言っているので、お客さまは毎日お越しになりますが、良縁には恵まれないようです。