持鉢 じはつ

押し入れの中を整理していると、懐かしいものが出てきました。
まず、持鉢(じはつ 5枚重ねの食器)が出てきました。僧堂で使うのですが、小さめで、20歳前の修行僧の時は食べ盛りでしたので、物足りませんでした。

瑞泉寺の僧堂では、6歳上の同期の修行僧と交換して使っていました。今では考えられないことですが、それだけ必死に過ごしていました。

裏返すと、金色マジックで署名してあります。父は僧堂に行かず、短期間の研修で副住職になったのですが、祖父母が心配して名前を書いたようです。

通常はベークライト製を使用することが多いのですが、うちのは塗りの持鉢ではがれてきています。仏具屋さんに修復依頼をすることもなく、保存しておきます。

 

真似ることから学ぶ

今日も慌ただしい一日で、午前中はお墓のご契約、午後は葬儀に初七日と続きました。
炎天下でしたが、熱中症や事務ミスもなく仏様のご加護であると感謝しております。

葬儀のおりは、紫色の法衣ではなくベージュ色の法衣で導師をさせていただいております。長年住職をしており紫色の法衣を着てもよいのですが、横田南嶺老師がベージュ色の法衣でご法話をされていることに感銘して、私も模倣させていただいております。

私の焼香の姿を模倣して、参列者の方が焼香をされていました。
私には師匠と呼べる方に巡り合うことはあまりありませんでしたが、真似ることから習得できればと思います。

政道徳門老師のご講義

花園大学の公開講座に出席してきました。ご講師は京都市八幡市の円福寺の僧堂の政道徳門老師でした。
政道老師に間近でお目にかかるのは初めてでした。老師は背が高くてよく通る大きなお声で、オーラを感じました。
講義の前のいす坐禅は、448呼吸法と随息観という初めてお聴きする呼吸法を学びました。

「嫌う底の法なし。」という臨済禅師のお言葉を学びました。私自身好きな人や物が身近に存在することもありますし、苦手だと思う存在もあります。子供の頃から苦手な先生や同級生がいましたし、住職になってからも、苦手な人は多くいました。
苦手だと思って遠ざけているよりも、なぜ苦手だと思う自分の心をよく見つめてみると、自分の心が虚妄にとらわれていることがわかることが多くあります。

そんな心の働きを、政道老師は熱くわかりやすく説いてくださいました。こういうお話しを若い頃からお聴きしていればと、帰り道に思ったものですが、それこそが虚妄であるかもしれません。

自分の心の中の霧が晴れるようなありがたいご講義でした。

祖母からの遺言状

押し入れの中を整理していると、紙に包まれた額と掛け軸が出てきました。「必要あれば表装し直してかける。平成11年秋」と祖母からのメッセージが書いてありました。


26年前に本堂を修復する時に、祖母が押し入れに入れたようです。当時は大学生で、東京と岐阜県を行き来していました。

何年か経って、住職をする孫が見つけてくれるだろうと思い、こうやって保管しておいたようです。

明日にでも表具屋さんにお願いして、修復可能なものは修復していこうと思います。

それにしても、祖母は楽天主義であったようです。小さなお寺で20歳の孫が住職になっても、何とか継続できると思っていたから、こうやって遺言を残しておいたのだと思います。

楽天主義こそが、後世に継承できる考えであったとは、不思議なめぐり合わせですね。

白いサルスベリ

夕暮れ時に水まきと草取りをしています。白いサルスベリが咲き始めました。
午後からは、池田町まで一周忌の法要に行って来ました。こちらのご家庭は昨年からご縁ができましたが、ご夫婦とも高校の先輩であるので長話しとなり、長居してしまいました。

新しいご縁の中で、昔からのご縁が見つかってありがたい思いです。

徳秀寺

皆さま暑い一日でしたが、お身体のほうはいかがでしょうか。
私は汗っかきですが、水分補給をして過ごしています。
午前中は、大垣市の徳秀寺の施餓鬼会にお参りさせていただきました。暑い中、横関和尚さまを慕って多くの檀家さんがお参りされていました。

私は最近、ベージュ色の直裰(じきとつ 法要の時の法衣)を着用して参列しております。円覚寺の横田南嶺老師が同じようなベージュ色の法衣で法話をされておられるので、模倣させていただきました。
真似ることから学ばせていただいております。

无名会

名古屋市の栄にある政秀寺での法話会に参加してきました。
ご講師は、神戸市の祥福寺の岩村宗昂老師で、演題が十牛図の見跡でした。

私の僧侶人生は、牛を探し求める放浪する毎日でした。祖父や母と同じように、教員をしながらお寺を守っていくことが美徳とされていたのですが、違うなと思いふらふらと歩んでいたものです。

国民年金保険料の取り立てや生活保護の仕事という回り道の人生を歩んできたので、慈悲行を進んでいこうという使命に行き着いたわけです。

同世代の岩村老師のお話しをお聴きして、自分のふらふらしたような人生は、結果的に間違っていなかったと思いました。

19年前に河野太通老師の講義をお聴きするようになった時は、重々しさの中に共感するところがありました。岩村老師のお話しは、同世代の親しみの中に、仏道に専念されてきた重みがありました。

50歳を前に、これまでの僧侶人生に磨きをかけていきたいと思います。

サルスベリ

サルスベリがきれいに咲いています。
猛暑日でしたが、お墓のご見学がありました。
以前から、うちのお寺を着目されておられたようで、お話しをさせていただくと、ご契約の運びとなりました。

自然と共生するお墓が受け入れられているようです。「桃李もの言わざれども、下自ら蹊(みち)を成す。」という故事があります。庭や建物を整えているうちに、おのずとお客さまがお越しになるようです。

掲示板ポスター

掲示板のポスターを貼り替えました。
夏休みに入り、みんなに安心を与えるような行いをするように伝えていきたいところです。

これだけ暑いと、髪の毛のない私にはこたえます。庭の花を眺めて、暑さを忘れるようにしています。

大泉寺

西濃仏教会の会費を納めに、大垣市にある真宗大谷派の大泉寺にお参りに伺いました。


こちらの木下ご住職はお若いのですが、お寺に関する見識は深く、本堂前でのお話しで学ばせていただきました。
西濃地方の人口は34万人ほどですが、お寺の数は多くあります。宗派の壁にとらわれていては、何も進まないので、こういうご縁を大切にしていきたいと思います。