DVD

神戸市の祥福寺からレターパックが届きました。
開封すると、今年4月25日に妙心寺で行われた、岩村宗昂老師の歴住開堂式のダイジェストDVDでした。


さっそく拝見しました。式全体のことがまとめられていて、振り返ることができました。
岩村老師は、一回も間違えることなく、スラスラと口上を述べておられて、頭脳明晰のお方だと改めて思いました。

和尚さんが6人写っている写真の左上に私の顔が写っていました。雲水の時から指摘されていますが、法要の時は厳しい表情になります。もう少しにこやかな表情にしないといけませんね。

こうして、映像にして後世に継承されて行きます。

 

雨水

午前中は、すごい雨で、庭にある枯れ池から水が溢れていました。
慌てて、排水溝に詰まったいる枯葉を取り除きに行きました。
この雨水をうまく排出できる手立てはないものかと思案しています。

仁和寺

花園大学の講義を終えてから、仁和寺にお参りに行きました。
仁和寺は真言宗御室派総本山で、菅原道真を登用した宇多法皇が創建されてこちらにお住まいになられました。

二王門を入って、受付の方に、「こちらは徒然草の話に出てくる所ですか。」とお尋ねすると、「仁和寺の僧侶が石清水八幡宮にお参りした時のことです。」と教えてくださいました。

こちらの境内全体は、よく整えられていました。松の木を中心とした庭木の配置は、1000年以上の継承によるものですね。


奥の金堂付近まで進んで行くと、お掃除のおじさんたちが、遠目に私の装束を見て、「あのお坊さんは臨済宗の人だよ。」と語っていました。私が、「よくわかりますね。」と言うと、「暑いから冷たい水でシャワーはどうですか。」とありがたいお言葉です。「私がシャワーをかけてあげますよ。」などと冗談を言っていました。

ぐるぐる回っていると、私のスマホに、「この機器が熱くなっているので、冷ましてください。」と表示が出てきました。スマホのほうが、熱中症を起こしたようです。

電源を切って冷まして、境内を歩きました。達筆な御朱印をいただいて、仁和寺を後にしました。

禅と傾聴

花園大学の公開講座に参加してきました。
今日の講師は河合 宗徹先生で、17年前の妙心寺での高等布教講習会でご一緒した和尚さまでした。

「禅と傾聴」というテーマで1時間半お話をお聴きしました。


悩んだりお困りの方と対面して、どのようにお答えしていいのか悩むことがあります。適当に合わせていると、いい加減に聞いているのだと、かえって悪く思われることがあります。

お相手の悩みを、自分の意見を挟まずに、ただお聴きすることは難しいことです。お相手の思いを汲み取っていき、苦しみを
和らげていくことが、大切なことです。
ついつい、仏教の教義を語って、お相手の悩みを深くしてしまうことがありますが、こちらは裁判官や検察官ではないので、ゆったりとお相手の苦を和らげて、安心に導いていくのが僧侶の役割であると思いました。

今日の中日新聞の投書欄に、医師の余命宣告で辛い思いをされたということが書かれていました。「今後、救急で運ばれた時には、もう冷たくなっている。」と冷淡な宣告をされたそうです。この医師は、職業の本分を果たしていて、医療過誤で訴えられることもないでしょう。しかし、人を安心にもたらしていく、人間の優しさは欠けているようです。
こんな時代に安心をもたらしていくのが、僧侶の役割ですね。儀礼にこだわらず、安心へと導いていきたいと思います。

大源寺だより新号

月参りやお客さまがお越しになる忙しい一日でした。クラウドで予定管理していないと、予定すっぽかしで苦情の嵐になってしまいます。

納骨堂の新規契約がありました。たびたび見学にお越しになって、ご縁がまとまりました。「これまでのお寺と檀家の関係性は継続が難しくなります。」と宗教者でありながら、評論家やコンサルタントのようなことを語っていました。

その後、檀家の印刷屋さんがお越しになり、大源寺だよりをお持ちくださいました。これまで、付き合いの良し悪しでお寺や住職を見定められていたのですが、これからの時代は、そればかりでなく、宗教的指導者としての発信力が問われてくるでしょう。

母からは、目立ち過ぎと指摘されています。

午前中は、古くからの檀家さんの五十回忌の法要の後に、大垣市の円成寺の施餓鬼会に行きました。昭和51年のご命日で、私が生まれた年になります。

60代のお父さんが息子さんに、「オレの五十回忌はしなくていいぞ。」とおっしゃるもので、私が「年忌法要をするようにお伝えするべきですよ。」とやんわりとお伝えしました。私が生まれた年からの檀家さんですので、ストレートにお伝えできます。

円成寺から帰ると、お墓の見学がありました。ご両親とご子息がお越しになりました。
ご家族でお越しになることが、後々トラブルになることもなく、こちらとしてもありがたいことです。

テレビショッピング番組のように、「限定○区画。お急ぎください。」などと言うと、後世に禍根を残すことになります。

後から来る者のために、継承していくには、皆さまのご理解が必要になります。

円成寺

大垣市荒尾町の円成寺の施餓鬼会に参列してきました。


よく手入れされた庭を通って庫裡に入ると、控室には盛永宗興老師の墨蹟がかかっていました。


本堂には多くの方がお参りされていて、ご住職のご人徳を伺い知ることができました。

お寺にご縁のある方の力をまとめるお力に感嘆するばかりでした。

終活セミナー

プリエンド協会の終活セミナーが、名古屋市中村区にある善成寺であることを知り、午前中の仕事を終えてから参加させていただきました。

玄関を入ると、坊守さんがお迎えくださり、名刺をお渡しすると私のことをご存じでした。こちらの三兄弟にはお世話になっていて、長子相続で孤高な気持ちで住職をしている私には、見習うことが多くあります。

椙村副住職はお話しは、よく構成されていて、ウェルビーイングから終活を展開されていて、非凡なセンスを感じました。

うちのお寺でもお世話になった山田慎也さんの介護のお話しでした。
介護というと苦い思い出があります。24年前に祖母が脳梗塞で身体が不自由になり、介護が必要な状態になりました。2001年に介護保険制度が開始したのですが、子どもが親の介護を見るのが当たり前とされる時代でした。

母は今は私と同じくらいの年齢で、現職の教員でした。50歳で退職して、介護に専念すべきと祖母の兄弟は主張するのですが、収入はなくなります。
大叔母は「一寛くんが稼げないから、お嫁さんは仕事を続けなければならない。」と隣り近所に吹聴したものでした。

生老病死の四苦に備えて何か対策を打っておく必要があったのですが、報恩謝徳を尊重して生きてきた祖母には難しいことだったようです。

私も介護保険のことを学んで、祖母のいる老人ホームによく足を運んだものでした。「ここには、じいさんの旧制中学の教え子の先生がいる。と教員の妻であったことを誇っていました。

これから、母が介護が必要な状態になり、またお寺にご縁のある方のお手伝いができればと思い、受講しました。

この先、介護が切実な問題になります。肉親同士で骨肉の争いにならないように、正確な理解が必要になります。

不活動宗教法人

不活動宗教法人のことが中日新聞に出ていました。
どんなものでも栄枯盛衰があるもので、活動していない宗教法人が行政からご指摘を受けるのは致し方のないことです。

年金制度と同じで、存続が危うくなることは30年も前から言われていたことです。何とかなるという安心感と、後継者不足のことばかりのせいにして宗教を伝えることがおろそかになって、「ただいてくれるだけでありがたい。」とマンネリを作り出してきたことが大きな原因ではないでしょうか。

こういう記事が出ると、建物修繕工事の寄附や年中行事の手伝いに嫌悪感がある人が、「お寺解散」を主張して、多数派工作をし始めるので、志高い宗教法人の代表役員の方は注意が必要です。
10年前に、鐘楼修復を提案した時、檀家のお婆さんが、「年中行事の手伝いを軽減してほしい。お手伝いの給金がほしい。できなければお寺は解散。」などと言い出して手を焼きました。
「寄附の強制はしません。お布施の金額を明確化します。」と言って、「解散したら、かえって負担金額は上がりますよ。」と宗教者らしからぬ説得をしました。

日本の宗教法人の運営はマンネリ感が多くあるので、仕組みを変えることから始めてみれば、不活動から活動的に変わっていくのではと感想を述べてみました。

 

瑞泉寺

成田山名古屋別院をお参りした後、隣にある瑞泉寺をお参りしてきました。
この階段は29年前は、下駄履きでも上り下りができましたが、今は靴でもしんどくなりました。

階段を降りて、瑞泉寺の中門の前で作務をされているご僧侶にご挨拶をすると、何と原田径宗老師自ら炎天下の下で動いておられました。ご挨拶をして、本堂の前でお参りをしていると、臨済宗妙心寺派の前管長の小倉宗俊老師がおられて、ご挨拶をしました。

日陰で原田老師と世間話をして、「29年前に私が雲水だった時、老師は小学生でしたね。」などとお話ししました。私は20歳で小さなお寺の住職になり、原田老師は30代後半で大きくて由緒あるお寺の住職かつ、修行道場の指導者として背負う物が多くあります。
短い間でしたが、こちらに籍を置いた者としてお役に立てることはないかと考えて瑞泉寺を後にしました。