岐阜羽島駅

いつもは大垣駅で降りるのですが、時間の調整もあり、岐阜羽島駅で降りました。
ホームを歩いていると、鋭い目の4人ほどの男性が、露払いのように先導しています。どなたのご行幸かと思ったら、武藤経産大臣が通っていかれました。キョトンとする私に軽く会釈していかれました。

昨日、うちの近所の高速インターで、開通式典があったので、そのお帰り道だと思います。

武藤大臣のお家は、各務原市の大安寺の檀家さんで、先代の武藤嘉文元外務大臣の時は、施餓鬼の折に演説をされた信心深い大檀那さんとお聞きしております。

経産大臣は私に会釈されたのではなく、法衣を着た僧侶姿に会釈されたので、勘違いしてしまうと、偉くなった気になってしまいます。

私は小さなお寺の住職ですので、程よく活動しております。

仁徳天皇陵

大阪府堺市での葬儀を終えて、帰路についております。
堺市は人口80万3千人で、岐阜市や大垣市を合わせても、とても勝てない人口数です。
朝の8時半から葬儀をして、火葬場に向かいました。火葬場は広いのですが、時間にならないと入場できません。

移動中や火炉の前でおりんを鳴らすことも禁止されていましたが、「郷に入りては郷に従え。」と地域の習わしに従いました。

その後、初七日までの間、仁徳天皇陵まで行ってきました。明治時代に全天皇の陵(みささぎ お墓)が特定されたようですが、根拠は乏しいようです。私のような昭和世代は仁徳天皇陵と教わりましたが、今では、大仙古墳と教科書に表記されているようです。
正面の鳥居は、明治時代に設置されたものであるようです。

私は今上天皇をお慕いしています。地元の教区の法話講習会で、「皇太子(今上天皇)さまのような話し方はやめなさい。お坊さんらしく話しなさい。」と言われて、その後、教区の法話講習会にはいきません。

天皇家も栄枯盛衰があり、古代には強かった権限や財政力も、鎌倉時代以降は弱くなり、江戸時代は、一般庶民には、天皇か将軍のどちらが偉いかわからなかったようです。

明治時代に、天皇を頂点とする立憲君主制国家を作るために、万世一系の天皇のお墓を特定する必要があり、根拠の乏しいまま特定して、後付けで鳥居を設置したようです。
複雑怪奇な歴史を振り返って、歩いて葬儀ホールに向かいました。

収骨と初七日を終えて、南海の堺東駅まで歩いて帰路につきました。

今回のご葬家は、岐阜県御嵩町の出であられるようでびっくりしました。私の修行同期の和尚さんが御嵩町のお寺で住職をしていたので、何度も訪問したものです。
不思議な縁で結ばれているのが、お寺の世界です。

大阪府出張

これまで大阪に出張することなどなかったのですが、コロナ禍をあけてから、20回以上足を運んでいます。
東京や名古屋とは雰囲気が違いますね。
お寺を出る時に、宵越しに余分なお金を使わないようにと釘を刺されました。

終活セミナー

来月9月6日の終活セミナーを中日新聞の西濃版に取り上げてもらいました。
さっそくお申し込みをいただき、ありがたい思いです。

ネット社会になりましたが、新聞の影響力は強いですね。今回のセミナーで安心を深めていただければと思います。

今回の講師は、若子 昭一先生です。妹さんは11年前からご縁があります。先日も偶然にお会いしました。不思議なご縁の広がりでセミナーが開催されます。

皆さまのご参加をお待ちしております。

易経教室

今日の易経教室は、お蚕さまをテーマにお話しを聞きました。
私の法衣はほとんどが化繊で、正絹(絹糸100%)などはほとんど着たことがありません。祖母や母が持ってきた嫁入り道具の着物は、正絹のものが多いと思います。
人の肌に合い、見栄えのよい絹糸を作るお蚕さんを活かす叡智を学びました。

祖母のお父さん、私の曾祖父は農地解放で地主の座を奪われて、お蚕さんの先生をされていたようです。
祖母や大叔母からは、そういう昔話を聞いたことはありませんでした。

一代のみの栄誉

こちらの額の勲章は、40年前に祖父が皇居で拝受してきたものです。


祖母の遺言で本堂内に掛けて掲示していましたが、参拝客から不評でした。
「教員をされていた叙勲で、住職としての功績ではありませんね。」とごもっともですが、厳しいご意見です。
老師さまから拝受したお手紙を掲示することにして、勲章は庫裡の方に掛けてあります。

一代での栄誉と、末代まで続くものと分けていかないと、不評が広がっていってしまうと感じるところです。

アサガオ

玄関前の植え込みのアサガオが咲いています。
子どもの頃、夏休みの自由研究で観察していたものです。
今では甥っ子2人が観察しているようです。

樹木葬墓地で納骨式がありました。
遠く離れた岐阜県東部から14人お越しになりました。
私が若かりし24年前は、泣く泣く2時間かけて運転したものですが、今では高速道路が出来て、1時間足らずで到着するようです。

時代が進んで。離れた所からご縁があり、心から感謝しております。

今日も一日暑かったのですが、お墓参りのお客さまがお越しになりました。
狭い正面駐車場にお停めになるので、広い駐車場をご案内しました。
お客さまが多くて、お昼からは檀家のおばさんがお越しになり、1時間以上世間話をしていかれました。

40年前に皇居で勲章をいただいた、東大出で教師をしていた祖父の時代は近づきにくかったようですが、平凡な今の住職は何でも聞けるようで、直接 電話 メール LINE ズームといつでも交流しております。

皆さまいつでもお気軽にお声掛けください。

草野妙敬さんのご本のご縁

住職塾以来お世話になっている飯田 正範さんがご住職をされる名古屋市中川区の瑞因寺へお伺いしました。

10年ほど前から住職塾でご縁のできた、群馬県館林市の草野妙敬さんがお越しになり、新しい本を出版されるので、こちらでのお披露目と意見の分かち合いの会でした。

仏教の教えというと、五戒に始まる厳しい戒律でがんじがらめな生活規律があるけれど、間違った理解では、多くの人をかえって不幸にしてしまいます。

新刊の本を拝見して、人間の心をありのままに表現する源氏物語に趣きが似ていると思いました。

こうしなければならないという縛りで生きていても、それは虚妄のようなものです。もちろん守るべき道徳や法律はあります。
私の場合、祖母に「変わったことをすると人が笑う。」とか、ある和尚さんは「お前バカだな。」と罵倒されて、思想矯正をされたものですが、場所や環境が変われば、価値観も変わるものです。
人の考えも空気のように変わっていくものです。

目の前にあった空のペットボトルを見て思い出しました。いつもは不要になると捨ててしまいますが、16年前に閉鎖病棟に入院した時に、退院する人から「お茶入れに使ってください。」と空のペットボトルをいただいた時はうれしかったものです。

退院して、ある方に挨拶に行くと、ろくに見舞いの言葉もなかったものです。

諸法無我という言葉が思い浮かんで発言しました。この世は自分の思いや価値観に縛られていますが、それは一時的なもので普遍のものではありません。
広い心で多様性を認めていく、草野さんや飯田さんのファンになって、お寺を後にしました。