慈渓寺

うちのお寺の本寺である慈渓寺の施餓鬼会にお参りして来ました。
こちらは愚堂国師が創建されたお寺で、この付近の臨済宗のお寺の中で統括するような役割のお寺です。
控室では達磨さんが睨みをきかせていました。


40分ほどの法要の後、お坊さん同士世間話をして後にしました。
こちらの開基のお一人のお位牌に、大久保石見守とあって、貞享2年とありました。この辺りは、代官所が置かれた土地であったということが推測されます。
大垣藩の前は、大久保長安が代官で任務していたのか、これから調べていきたいと思います。

赤いちょうちん

お盆のお経から帰宅して、樹木葬墓地の水まきをしていました。
この地域の習わしとして、ちょうちんをお墓に立てます。
うちの樹木葬墓地にも赤いちょうちんが立てられていて、地域になじんできました。

納骨堂や永代供養墓にもお参りが多くありました。お寺が様変わりしてきました。

お盆の一日

朝から晩まで動き回る一日でした。
29年前は犬山市を、20年前は各務原市を自転車で棚経に回っていましたが、今では近所とエアコンの効いた本堂でお盆のお経が続き、若かりし頃に比べてずいぶん楽になりました。

こんな時にやって来るのが、弟一家です。本堂で準備をしていると、ドアホンが鳴って甥っ子二人が本堂まで走って来ました。雲水の時、瑞泉寺の庫裏から本堂を走って移動したことを思い出しました。
手を合わせてから、「おじさん。この賽銭箱にあるお金は誰のお金なの?」との質問に、「このお金は仏様のお金だよ。」と答えました。

お客様が本堂に入られる姿を目撃すると、「勝手に入るのは侵入者だよ。」と言います。笑ってしまいましたが、どう教化していくのか難しいですね。

iPadを預けて、YouTubeを観させていました。自分で操作できるようになり、頼もしいです。

お経を終えた後、同級生のお客様が御朱印をご所望になり、一枚お渡ししました。

今日もお墓参りのお客様が多くお越しになり、たくさんのお花がありました。花立てが足りないとクレームがありました。

故人とお客様をおつなぎする役割になってきました。甥っ子も本堂でお経を上げる光景を見たいというのですが、親父に止められていました。これは末が楽しみです。

クレームは宝の山

雨の中、多くの方がお墓参りにお越しくださいました。
遠くは千葉県からもお越しくださり驚いていました。
3日前はお花は一本もなかったのですが、こうしてたくさん手向けられています。

今日来られたお客様は、ご実家の方で、お寺のお盆のお参りを、町内みんなでお断りされたという事例をお聞きしました。また、お寺の跡取り息子さんのお経がうまくなくて、苦情が出ているという事例もあるようです。

私もお経がうまくないので、苦情が出ないように練習しております。またお盆の棚経のお断りがないように、唱和してゆっくりとお読みしております。

クレームは宝の山という言葉を聞いたことがありますが、若い頃にクレームが多かったから、より気配りをしております。

華渓寺

2件の法事の後、徒歩でご近所の華渓寺の施餓鬼会に向かいた。雨が降っていたのですが、車で行っては先代の加藤定圓和尚さまの教えに背くことになると歩いて向かいました。
横田南嶺老師が、雨の中でも徒歩で向かわれるお姿に見習いたいという思いもあります。

こちらは古式に則ったしきたりとお寺の日常が進んでおり、若い頃から顔馴染みの檀家さんが多く参列されていました。

こちらで斎座(昼食)をいただいた後、午後からの法事に向かいました。今日は4件法事がありました。華渓寺の先代の加藤定圓和尚さまには、「桑海くん。君の担任の先生が、君はノートを取らないから手を焼いていると言っていたよ。」と小学校の校長先生として苦言を呈されることがありました。

今ではクラウド管理をしているので、ノートを取るのが苦手な私でも、適切にスケジュール管理することができます。

時代は進化していき、幼少期に親や担任の先生が手を焼いた住職がお寺を運営しています。アシスタントの手を借りたいところですが、中々甲斐性もなく難しいところです。近々AI執事長を雇用して間違いのないスケジュール管理と事務管理をしていきたいと思います。

戦没者法要

通常なら忠魂碑の前で行なう地元の戦没者の法要が、雨のためうちのお寺で開催されました。
戦後80年経って、参列されておられる方の大半が戦後に生まれた方でした。臨済宗は内陣でお経を上げることはあまりなく、外陣でお経を上げて、皆さまに前で焼香をしていただきました。皆さまの焼香のしぐさは人それぞれでした。

「終戦後31年経った年に生まれた私がお経を上げさせていただきました。最近は世界で不穏な足音が聞こえてきますが、皆さまが80年にわたって積み上げてきた動きで、この不穏な動きを止めることができればと思います。」とお話しさせていただきました。

8時半の開式前から雨が降っていて、クーラーも扇風機もつけませんでした。お客様が扇風機もつけ始めたので、クーラーをつけました。高齢者には寒かったかもしれません。

今日の参列者の大半は、団塊世代近くの年齢の方でした。そうすると、40年前に突然死した父のことはよくご存じで、同級生のご両親も何人かおられました。そのうちのお一人とお話しして、「うちの娘は4人子どもがいて、食べ盛りだよ。お父さんや義父母はお寺のためにと頑張っていたけど、私にはそんなエネルギーはないね。お寺さんが自力で頑張ってもらわないといけないんだよ。」と語っておられました。

昭和終期の小僧時代は、一休さんやおしんのように無心に頑張っていれば、皆さまがご寄進してくださいました。(アニメの中の一休さんを思い浮かべてください。)

今ではお坊さんもお経を上げて語って、方向性を示して実践していかないと、一般のお客様はついてきてくれません。

戦後80年を節目として、国力の低下している日本の社会で、お寺の立ち位置を分析して、どう仏法をお伝えしていくのかが問われる時代になってきました。

熊取町

大阪府泉南郡熊取町という聞いたこともない街まで、お通夜と葬儀に行きました。
勝手なイメージで過疎地かと思ったら、農村地帯に住宅街と工場があり私の地元と同じような感じでした。
タクシーの運転手さんにお聞きしたら、京都大学の複合原子力科学研究所があり、町の財政は潤っているようです。熊取町の人口は42,000人で、大垣市周辺で人口30,000人規模の市よりも多いのですが、あえて市に昇格したり、周辺市町村との合併を選ばなかったようです。
工場が多くあって、企業からの法人税で潤う私の地元の神戸町と同じ背景を伺うことができました。

臨済宗の葬儀ではたいまつを使用しますが、こちらではたいまつに見立てた菊を用いるようです。菊たいまつの方が穏やかに引導をお渡しできます。

火葬場は山の細い道を通ってたどり着きました。私のうまくない運転では車酔いしてしまいます。担当職員と世間話をしていました。

子どもの頃から遠征やら他流試合などの経験は少なかったのですが、行く先々での文化や風習の違いを経験するのは人生の糧になります。

午前と午後と本堂で法事があり、法事が終わってからは、大阪までお通夜に向かいます。


それにしても仕事が多くなってきたものです。若い頃は施餓鬼が終わると糸が切れたタコのようにふらふらと出歩いたものです。
「住職はお盆の時はお寺に常駐すべきです。」と母の苦言を制して出張に向かいます。

法事の前に写真を撮りました。今頃になって前撮りをするとは遅いですね。いや遺影に使うことになるかもと冗談を言っています。

四智円明の月

昨日のうちに、施餓鬼の後片付けをしましたが、今日は疲れが出てきました。年齢のこともあるのか腰痛も出てきて移動もしんどいほどでした。

朝からお仕事の電話があり、すぐにお引き受けしました。働けるうちに働きます。お寺へ帰るときれいな月が出てきました。「四智円明の月さえん」と白隠禅師坐禅和讃にある一節を思い出しました。

昨日の施餓鬼は、祖父母の頃からお参りくださる、ご近所の真宗門徒の方がお参りくださいました。代替わりして、お寺の運営方針が変わっていくのですが、それでも足をお運びくださることに感謝しております。

今から23年前、ご近所の和尚さまが問答を仕掛けてきました。「君が本堂修復のご寄付のお礼を言っていないから、お参りが減っているのではないか。」という厳しいご指摘でした。そういうこともありましたし、祖母が介護施設に入所したので、在宅介護が当たり前とされた時代ですので、薄情と思われたこともあったようです。

愚直に仏法をお伝えしていくと、新しいご縁の方も増えてきて、また50年以上のご縁の方もお越しくださいます。四智円明の月のように照らしていきたいと思います。

施餓鬼会 動画配信

大源寺の施餓鬼会が無事に終わりました。
毎年8月7日に行う慣わしとなっていますが、コロナ禍の時は住職一人でお参りしました。
平穏な生活に戻り、多くの参拝者と和尚さんたちとご一緒にお経をお読みすることができます。

私の幼少の時よりも気温が上がり、エアコンがなくては法要をお勤めすることが難しくなりました。

多くのご縁に包まれて施餓鬼会ができることに感謝しております。
法要が始まるまで大雨が降っていましたが、30分前には雨が上がりました。仏天のご加護のようです。

横関和尚さまが、網代笠でお越しくださいました。禅僧らしきお姿で仏法をお説きになり感銘しております。