未来の住職塾でご縁ができて、12年来の法友である高山信雄さんがご住職をされる、名古屋市中区新栄にある久遠寺の報恩講にお参りさせていただきました。

こちらのお寺には、何度かお邪魔させていただいていますが、法要に参列するのはこれが初めてで、檀家さんの席でお参りさせていただきました。雨の中でしたが、多くの方がお参りされていました。
8人ほどのご住職が内陣に出仕されていました。皆様が同じ装束を着用されていました。お経のリズムが整っておられますね。私は音痴なので、こちらでは出仕は難しいことでしょう。
高山ご住職は、おじいさまの眼鏡をはめて導師をされていました。表白文(適切でないかもしれません。)で上野(こうずけ)から筑波と述べておられて、親鸞聖人の足跡のことを語る文であったと思います。法難があって今に教えが継承されているようです。
文類偈というお経を全員でご唱和しました。源信は恵心僧都で源空は法然上人のことかなと思いました。

その後、川村妙慶さんのご法話がありました。川村さんのお話しは、普段の世間話のようなお話しから、すっと信仰を深めるお話しに入っていかれて、聞き入っていました。「娑婆から学ぶ。」というお話を聞いて、12年ほど前、このお寺の近所の生活保護世帯へ行き、世間話をしていたことを思い出しました。
「相手の本質を戦う必要はなくなる。」と言い負かそうとするのではなく、手を取り合うことが大切であると思いました。
親鸞聖人は9歳で得度されて、29歳まで比叡山で修行をされていたようです。六角堂に参籠して聖徳太子のお声があって、法然上人の所へ向かわれて、法然上人は迎え入れてくださったようです。
全く足元に及びませんが、9歳で父が他界してお経を読み始めて、29歳で故松原哲明和尚さまにお会いして、そのご縁で松竹寛山老師と横田南嶺老師のもとに行くことが今に続いています。
名古屋市内の大坊の若坊守さんがお声をかけてくださいました。宗派の違いにこだわるようになったのは、江戸時代の寺請制度ができてからではないでしょうか。そんなしがらみから離れると、お釈迦さまからの教えがわかりやすく伝わってきます。
