火炉の前でのお弔い

朝から、岐阜市斎場へ行き、火炉の前でお弔いをしました。
こちらは何回かお立ち合いすることでも、ご遺族にとっては大切なひと時です。
一期一会の心を忘れずにお経を上げました。

帰り際に業務用スマホを操作している、同年代の葬儀社の女性スタッフに声をかけました。私「○○社ですね。」女性「いえ、△△社です。」私「ネームプレートは○○社ですね。」女性「実は○○社と△△社とかけもちで所属しています。」という驚きの回答でした。
二刀流で二重所属という、業界習慣があるようです。

その後、斎場の近くにペット墓地の看板がありました。民間企業が出てきては、お寺では太刀打ちできません。

短い間の滞在でしたが、思わぬ発見をしたものです。

第7回終活セミナー 転ばぬ先の杖

昨日までの曇り空から一転して暖かい日となりました。
午後2時から終活セミナーを開催して、多くのお客様がお越しくださいました。

横田南嶺老師を見習って、ベージュ色の法衣でお話しさせていただきました。金融機関や葬儀社も終活セミナーを開催する中、お寺で終活セミナーを行うのは、安心の毎日を過ごすようにお伝えしていくためであるとお伝えしました。

気分が乗ると長くなってしまいます。

その後、司法書士の野田啓紀先生のご講義がありました。老後に楽しい毎日を過ごしていて、骨折したことから、介護が必要となり、ご家族が預金を引き出すことができないという悲しいストーリーから始まりました。

祖母が脳梗塞から要介護状態になった24年前は、介護保険が始まった年でしたが、自宅で介護をするのが当たり前とされた時代でした。大叔母や義姉にあたる隣のお婆さんは、母と私を批判したものでした。

幸い、祖母は年金が私の給料よりもあったので、安穏な老後を過ごせました。それでも、大叔母や隣のお婆さんを味方につけて、血縁のない母や私の悪口を言っていたものです。

私がよそのお寺へ行って、うつ病になったので、「悪かったね。ごめんね。」と病床で言っていました。

お寺の付近では、3世代同居世帯が多く、自分が親の介護をして、子ども夫婦が結婚をする時に家を建ててあげたのだから、当然のように面倒を見てくれると思う方が多いようです。
和尚さんにも、お弟子さん夫婦に老後の面倒を見てくれと言って、決裂したケースがあります。

そのようにならないために、法律家などの専門家のお知恵をお借りして、転ばぬ先の杖として、法的制度を活用していくことが必要なのです。

会の最後に、母の足元がふらつくので、嫌がる母を説得して杖を購入した話しをしました。言霊信仰があり、心配事を口にすると本当に悲しいことが起きると、目をそらす傾向が日本人にはあります。
悲しいことが起きてからでは、対処できないことが多くあります。身の回りの不安なケースを分析することから始めるのが、終活であるのです。

一休さんのトンチ話し

庭掃除から戻ると、大垣ケーブルテレビで一休さんが放映されていました。
40年ほど前は、学校から帰るとよく見ていました。
トンチ話といいますが、本当にトンチ問答をしたとは思えないのが、歳をとったのを感じます。

14年前に、生活保護の仕事をしていた時、荒くれおじさんが、私に質問をしてきます。
「一休さんは本当に橋の真ん中を通ったのか?。」と言うので、まともに否定したのでは、修行の足跡を見せられません。

私は、「一休さんは酒も女性も好きだったんだ。俺も好きだ。おじさんもハマったんでしょう。」という珍妙なやり取りをしました。

おじさんは、笑って帰って行かれました。隣の上司はキョトンとしておられました。

禅のやり取りは難しいので、その背景を伝える伴走者がいないと、間違った解釈で一生を過ごしてしまうことがあります。

世間話のお客さま

昨日までの雨のち曇りの天候の後の青空は、天の恵みのように思います。
洗濯を干して、午前中は本堂でお経を上げて、お預かりしていたお骨をお返ししました。

その後、隣の檀家のおばさんが訪ねてきて、客間で世間話をしていました。

うちは敷居の低いお寺で、昔話や今後のお墓のこともお話ししました。前に行っていたお寺では、「オッ様は布教師なのに、檀家の前では説教してくれない。」とお聞きしていたので、私はうまくはないお話しをしています。説教などというと、逆に説教されてしまいます。

皆さまお気楽にお越しください。

庶民派のお寺

朝にカーテンを開けると、南側で煙が上がっていました。
火事のようで、大ごとにならないようにと思います。

本堂の正面階段の添え木が、シロアリに侵食されて、取り替え工事をお願いしています。

うちの本堂は東向きで後拝があり、正面から本堂に上がれるので、真宗大谷派のお寺を模倣したようです。先日、東本願寺をお参りした時に、阿弥陀堂と外観が類似していると思いました。

曾祖母が見栄を張って、浄財を募って小さなお寺で大きな本堂を建てたもので、20年経った昭和35年の伊勢湾台風の時は、管理が難しくなって、私が子どもの頃は朽ちていました。

今から26年前に奇跡的に修復が叶い、今の本堂の形になりました。

よく勘違いしてしまうのが、高くない身分や境遇からうまく進むと、既存のハイレベルのクラスの層と同じことをしてしまうことです。
思い出すのが、平清盛です。清盛は、既存の貴族の荘園制度に嫌気が差していた武家層に支持されたのですが、政権を取ると、貴族政権と同じことをされました。

世襲や門閥を反対と唱えてきたお坊さんが、偉くなると既存勢力と同じことをされる例もあります。

うちは建物工事はうまく進みましたが、小さいながらも皆さまの支持で運営してきたことを忘れてはいけないと思う毎日です。

お寺のブランド価値を間違えてはいけませんね。大きなお寺にいくと、1000年前からの歴史があり、格式は高いのを感じます。うちは小さなお寺なので、何でも悩みを相談できる庶民派であるべきなのです。

日頃からの目配り

朝起きると、樹木葬墓地には雪が積もっていました。
昨日スタッドレスタイヤに替えたところですが、秋の期間は短くすぐに冬がやってきました。

本堂の正面の階段の添え木を交換していただきました。古い添え木にはシロアリが侵食していました。

住職専任となり、毎日掃除をしているから、早期に発見できましたが、以前のように兼業で毎日出掛けていたら、大変なことになっていました。

日頃からの目配りが大切ですね。

般若心経の掛け軸

檀家さんのお宅には、般若心経の掛け軸が掛けられていました。
この辺りは、浄土真宗の門徒さんが多く、忌中の間は「南無阿弥陀仏」の掛け軸を掛ける習わしになっていますが、こちらのお宅は般若心経の掛け軸を掛ける習わしになっているようです。

「南無釈迦牟尼仏」という掛け軸も拝見しますが、「南無阿弥陀仏」に対して、近世に掛けられるようになったのではと思います。

「興祖微妙大師六百年大遠諱」とあるので、昭和52年(1977年)とあり、私が生まれた翌年に書かれたものであるようです。

大本山妙心寺で購入されて、こちらで表装されたようです。「永明義隆」という和尚さまが書かれたようですが、どなたか判明しません。

微妙大師六百五十年の遠諱法要が来年に行われる時に、こちらのお軸を拝見できるのは不思議な巡り合わせです。

禅と芸術表現

花園大学へ行き、佐々木丞平先生の「禅と芸術表現」という講義を受講してきました。
禅美術というと、達磨さんに腕を切り落として弟子入りを申し出る慧可の決意を表す雪舟の絵「慧可断臂」を思い出します。

慧可の言うように、「私は不安でしょうがないのです。」と20年前にメールで送ったらブロックされたものです。

私は絵画のことはわかりませんが、禅の画は悟りの世界と現実の世界にあるものの間にあると解説してくださいました。

長谷川等伯や伊藤若冲の絵画のこともご説明くださり、頭の中の記憶を整理できました。

浄土系のお寺へお参りして絵画を拝見すると、極楽浄土を想起させるものが多くあります。禅宗系のお寺は身近な悟りの世界で、キャンプ場(語弊があるかと思います。)を想起させるものが多くある気がします。

自分が生きているうちに、鑑賞眼を身につけておきたいと思います。

腰が痛くて、自宅内で杖を使って、母から外出を控えるように言われたのですが、上洛しました。

宿坊のお寺

大源寺だよりの最新号の原稿を書き終えて、脱力感のところにギックリ腰で、ゆっくりテレビを見ていました。

NHK総合の列島ニュースで、未来の住職塾でご縁のできた宗元 英敏ご住職が、取材を受けられて出演されていました。

お寺は敷居が高いと思われるのですが、宿坊でお泊まりいただき、本堂でお酒を飲んで語って悩みを聴かれるお姿を拝見しました。

ご住職が率先されて動かれるので、運営が成り立ち、多くの信仰を集めていらっしゃるようです。

一度お訪ねしたいと思います。