船井総研の勉強会の後、上野公園まで行き、夜桜を鑑賞してきました。

31年前に大学に入学してから、ずっと上野公園の桜を見たいと願っていましたが、念願叶いやっと上野の桜を眺めることができました。

屋台もあり、コンサートもあり賑やかでした。ふらりとお散歩していました。

その後、法友の友光さんが東京に戻られるというので、10年前に寺社フェス向源でご一緒した旧友との懇親会に入れていただきました。
行く先々で法友にお会いできるのはありがたいことです。
船井総研の勉強会の後、上野公園まで行き、夜桜を鑑賞してきました。

31年前に大学に入学してから、ずっと上野公園の桜を見たいと願っていましたが、念願叶いやっと上野の桜を眺めることができました。

屋台もあり、コンサートもあり賑やかでした。ふらりとお散歩していました。

その後、法友の友光さんが東京に戻られるというので、10年前に寺社フェス向源でご一緒した旧友との懇親会に入れていただきました。
行く先々で法友にお会いできるのはありがたいことです。
株式会社366の伊藤 照男社長とご縁ができたのは、11年前のことです。
直接のお仕事のやり取りと言うよりは、コロナ禍からオンラインセミナーでわかりやすく理路整然と、お墓を始めとするお寺の運営を講義してくださっていました。

諸行無常の荒波で生きるお寺に新しい風を入れていくために、伊藤社長と野中さんにお話しをお聴きしてきました。
宗教者として仏法を伝えていく使命と、法人代表者として事務処理を間違えたり、滞ることなく進めていかなければなりません。
広い知見で伴走してくださいます。

弟一家がお昼から遊びに来ました。
今日は書斎で事務作業をしていると、甥っ子2人が入って来て、パソコンを明け渡しました。ゲームが目的であるようです。
スシローへ行くと、弟は食事作法を厳しく指導しています。ゆるゆるな私とは正反対です。
お寺へ帰ると、2人は断りなく私の部屋でパソコンを使い始めました。弟は叱責していましたが、これはもっともなことです。

ゲームを30分で切り上げて、お兄ちゃんは勉強で、弟を近所の桜並木や公園に連れ行きました。あまりにも的確な指摘に驚いていましたが、「お前。おじさんの前で言うのはいいけど、学校でそういうことを言っちゃダメだよ。」と釘を刺しておきました。

公園で滑り台を私も遊び、ぐるぐる回って、お兄ちゃんが勉強特訓を終えた頃に帰りました。
お兄ちゃんは私に仕草が似て、弟は考え方が私に似ているようで、パパやママが手を焼いているのがよくわかります。たまにはおじさんが相手をします。

午前中は、習字教室に行ってきました。
墨をすることから始まりますが、すり方も慣れてきました。

楷書と行書を書いて、提出してきました。

お寺に帰ると桜がきれいに咲いていました。満開というほどではありませんが、周りの雰囲気を明るくしてくれます。

お墓参りのお客さまがあり、新規のご縁もあり、ありがたいことです。
今日からプロ野球が開幕して、春の訪れを一層感じます。
一昔前は野球解説者が、優勝予想チームを聞かれて、巨人とソフトバンクと言えば無難に仕事ができたようです。今では混沌として予想が難しくなりました。

お寺の世界とて同じことです。20年前は檀家数が多くて地代収入があれば盤石とされました。
今では流動化して予想が難しくなりました。
明るい雰囲気があって、お客さまが多くお越しくださるようです。

名古屋市の高岳駅から新栄の方まで向かう間に、西蓮寺というお寺があり、ふらりとお参りさせていただきました。
ご住職にお会いすると、「どうぞお上がりください。」と本堂や庫裡をご案内くださいました。

きれいなお庭があり、池には大きな鯉が泳いでいました。
お茶をいただき、ご住職とお話しさせていただき、学ばせていただきました。
臨済宗の宗峰妙超禅師や関山慧玄禅師もご存じで驚きました。
ご住職の温かさでお寺は多くのお客さまがお越しになっていました。
午後から本堂で納骨がありました。
東京の芝へ行って研修会に参加する予定でしたが、お急ぎのようでしたので予定を変更して対応させていただきました。
お経を終えてお話しをしていると、明日から宮城県までお仕事で行かれるようです。「よく東京でお会いする和尚さんは、くりこま高原駅から気仙沼市まで車で50分かけてお帰りになるようです。」と話すと、まさに、くりこま高原駅の近くに赴任されるようです。
月に一度はお会いする小黒澤和尚のお膝元に行かれるとは、不思議なご縁です。
お坊さんの世界は全国に行き渡っています。
桜や芝桜がきれいに咲いています。
今年の春は、寒暖差や花粉や黄砂の影響なのか、体調のバランスが整いません。

この時期になると、若かりし頃のことと比較してしまいます。母の後ろ姿をみると、15年前に他界した母方の祖母の面影とそっくりです。
先日、大叔母のお見舞いに行くと、14年前に他界した父方の祖母とそっくりです。
中年を過ぎると、親や兄弟の姿や仕草によく似てくるものです。人相などと言いますが、姿や仕草や考えが継承されていくことから「相続」という言葉が出てきたのではと思います。

20年前に、京都の妙心寺での布教講習会での最初のお題が「相続」でした。宝鏡三昧というお経で、曹洞宗の洞山良价禅師が弟子に向けて伝えたものであると認識しております。
私は当時、毛利元就の三本の矢や、西郷隆盛の「子孫の為に美田を残さじ。」という語録を引用したものです。
私の思いを相続してくれる後世の人などいないと思っていました。最近では、甥っ子2人がお寺に来ては本堂でお参りをします。(両親(弟夫婦)はお参りしません。)
木魚の叩き方は、私が教えたわけでもないのに、私よりもうまいので驚きました。
お兄ちゃんは、お婆ちゃん思いで、私に似ています。弟は、よくしゃべるので、無口な親父(私の弟)とはあまり似ていないようです。誰に似たのでしょうか。私に似たようです。
私は、「(自分がなれなかった)弁護士あるいは布教師になれるといいね。おしゃべりだから。」と伯父バカ発言をしています。
毎年来る桜の時期ですが、時の経つことと、継承されていく先人の流儀を感じ取っています。

午後から、岐阜市に西別院へ行き、岐阜県仏教会の役員会に出席してきました。
会議が始まると三帰依文の唱和がありました。一昨日うちのお寺で唱和したものと、若干読み方が違うようです。

始めのうち、証券会社の若手職員がお越しになり、30分ほどプレゼンテーションがありました。後から統計の根拠をお尋ねするとあやふやなお答えがありました。
私も証券会社にお世話になっているのですが、会として委託するには、時間をかけて議論する必要があると思います。
反対はしませんでしたが、質問して問題提起しました。
執行部一任が岐阜県の慣わしと、あきらめに似た心境でした。

ただ、神戸町仏教会の会長として出席していて、何も意見を言わずに帰ってくると、会員寺院から突き上げを食らいます。言うべきことは言ったと思いますが、要注意人物と噂されていることでしょう。
帰りにお御堂をお参りしてきました。この空間は本当に落ち着きます。甥っ子がうちの本堂へお参りしては、「この本堂は本当に落ち着く。」と言う心境がわかりました。
この歳になって、ようやく仏様の安心に近づいてきたようです。

午前中は、本堂内で法事がありました。
15人お集まりになり、コロナ禍以降では多めの参拝客でした。
本堂の内陣をしげしげとご覧になっておられる方がおられました。「どちらからお越しですか?」とお尋ねすると、「福岡県うきは市からです。」と教えてくださいました。

「菩提寺さまも臨済宗のお寺ですか?」とお尋ねすると、「そうです。大生寺というお寺です。」と教えてくださいました。
「大生寺のご住職は、29年前に京都の妙心寺で垂示式と言って、住職になる気構えを聞かれて問答をして、住職辞令を受ける儀式をした時に、ご一緒しました。私は20歳のルーキーで、大生寺のご住職は確か10歳以上上の大先輩で、超ベテラン選手でした。」とお答えしました。
遠く離れたところにご縁がつながっていて、皆さま喜んでおられました。
同じ臨済宗妙心寺派でも、つながっていないと不安であるのはよくわかります。
本堂でのお経の後、桜が開花する直前の樹木葬墓地でお経を上げました。
本堂に戻って、他の親戚の方は、名古屋市守山区の臨済宗妙心寺派の利海寺の檀家さんであるとお聞きしました。
先程の福岡県うきは市のおじさんの奥さんは、横浜市鶴見区の總持寺の高校を卒業されたとお聞きしました。朝礼で観音経を唱和されていたようで驚きました。
「ご住職のお経は声が高くて聴きやすかったです。」とご意見がありました。「お坊さんの業界内ではうまくはないですよ。ただYouTubeを観ていると、素人っぽい歌い方の歌手が、かえって人気があることがあるようですね。」とお答えしました。
遠くからお越しになって、ありきたりのお経を聴くばかりでなく、住職と世間話をしてにっこりと帰っていかれました。

母方の祖父母、曽祖父母のお墓参りに行ってきました。
大垣市の住宅街で、雑然とお墓が並んでいます。背の高いお墓の隣に、背の低いお墓もあり日照権はどうかと余計な心配をしてしまいます。
お花を手向けて、ローソクと線香を上げて、般若心経を上げてきました。
帰り際は、ローソクと線香を火を消してきました。うちのお寺のお墓は、「そのままでいいですよ。」お伝えしていますが、「郷に入りては郷に従え。」と迷惑をかけないように後にしました。
