沼津市の釣月寺を参拝

小田原市からJRで1時間ほどかけて沼津市に移動して、同い年の秋山俊敬和尚さまがご住職をされる釣月寺をお参りさせていただきました。

山を背景に佇むお寺は壮大な伽藍でした。門前の寺標の字はどこかで拝見した書体だなと思って眺めていると、龍澤寺の故鈴木宗忠老師の揮毫でした。

お忙しい中和尚さまがご対応くださり、本堂で1時間ほど懇談しました。

修行年数が短くお寺専業で生計を立てるようになって10年も経っていませんが、こうして遠方に同い年の法友がいてくださると心強いです。

よき見本の和尚さまがいて、私も成長していくことができるのです。

小田原まで出張

小田原市の臨済宗大徳寺派願修寺にお参りさせていただき、樹木葬墓地の勉強会に参加させていただきました。
小田原市というと、戦国時代の北条早雲を思い浮かべますが、小田原駅北口のロータリーには北条早雲像がありました。

坂道を歩いて、10分ほどで到着しました。きれいな樹木葬墓地を拝見して、本堂に上がろうとすると、うちの近所の和尚さんがお越しになっていました。

7人ほどの参加者は、皆さま顔見知りの和尚さんばかりでした。志を同じする人が集うのです。

3時間ほど岩山 宗應ご住職やお寺の職員さんのお話しを伺いました。私が質問が一番多かったのですが、丁寧にお答えくださいました。
墓地の様子を拝見して、一朝一夕では達成できない大きなプロジェクトを進めておられる姿が伝わってきました。

私は檀家10軒で住職人生がスタートしましたが、岩山ご住職は4軒からでさぞ苦労されたと拝察します。

北条早雲は、一浪人から大名にのし上がったと聞いております。しかし、子孫の代で、豊臣秀吉の前に屈服することになってしまいました。
栄枯盛衰のあるお寺の世界で、後世に伝えていくために、学びを続けていきたいと思います。

第9回終活セミナー ご葬儀について

2年前より開催して、好評をいただいております終活セミナーを6月14日に開催します。
今回は、ご葬儀について葬儀社を経営されるお二人にご登壇いただきます。
30年前にくらべて、葬儀は小規模化してきました。平成バブルの余韻に浸っていた頃は、多くの参列者がいて、大人数のお坊さんのお経で見送られました。
そんな時代も今は昔のお話になりました。サイズが縮小した葬儀を平成時代と同じ価値観で進めるのは無理があります。しかし何でも縮小すればいいのではなく、故人を弔うためにどう費用のかからない葬儀をしていけばよいかご講義いただきます。11

円成寺 毎歳忌

大垣市荒尾町の円成寺へ行き、後藤瑞巌老師の毎歳忌(祥月命日)にお参りさせていただきました。

 


後藤瑞巌老師は大垣市のご出身で、妙心寺派と大徳寺派の管長を歴任されました。
後藤老師にご遺徳は、遷化後60年経っても伝わっているようです。
「よく整えられた境内は、埼玉県の平林寺を思い起こします。」と土光ご住職にお伝えしました。

春日山 大源寺 檀信徒のしおり

「春日山大源寺 檀信徒のしおり」と冊子が一年がかりで完成して刷り上がってきました。

禅の教えは「不立文字」(ふりゅうもんじ)と言って師匠から弟子に口伝で継承されていく習わしです。

その習わしが檀信徒への教化につながるかと言えば、伝わりにくいものです。
昭和時代は、本家さんなどの親戚筋の長老が「住職はこのように言った。こういう習わしである。」と言えば皆さんが付き従ったものです。

今は親戚関係が希薄になってきました。私も頼れる親戚筋はありません。また自分に都合よく有力者の言葉を利用する人もいます。幕末から明治時代の岩倉具視や大久保利通は綸旨(りんじ 天皇の命令)を都合よく利用したものです。

そこまで大きなことではなくても、普段近づきがたいお寺の住職に、お寺との付き合い方やお布施の額を尋ねることは難しいものです。そうすると、「あのお寺のお布施は高い。それに寄付も強要される。」と尾ひれのついた噂が広がってしまいます。

そうならないように、冊子を作成して、ご縁のある皆様がわかりやすくお読みくださり、意見を率直にお伝えくださればと思います。

14年前区役所勤務をしていた時、同僚のおじさんは、「こいつは酒浸りの生臭坊主だ。」と言われていました。
ある時、「桑海くん。うちの親父が高齢だけど、亡くなったら葬儀をしてくれないか?」ておっしゃるもので、半ば冗談かと思いましたが、「お受けしますよ。」とお伝えしました。

その後、本当に葬儀のお経を上げることになりました。区役所内では噂になり、祖母もびっくり仰天でした。「あんたに檀家さんを招き入れる力があるとは不思議だ。爺さんも長年教員をしていたけど、一度もなかった。と驚いていました。

私が話しやすくて、何でもすぐに質問できるから、うちに依頼されたのでしょう。そして4年前にその方のお弔いをさせていただきました。

長く住職をしているからと言って、黙っていて伝わると思ってはいけないと思います。伝える努力をして、得られる信頼関係があるのです。

ご縁のある方には、7月までにお送りいたします。お急ぎの方はお伝えください。

宗教法人売買のニュース

NHKニュースのおはよう日本で、宗教法人売買について、文化庁が実態調査に乗り出すと報道されていました。
先日の岐阜県仏教会の役員会でも報告がありました。

私にしてみれば、20年遅いと思います。空き寺が増えて、犬や猫が入り込み、耐震性の問題があっても、修復が困難であっても手を施すことができないお寺が多くあったわけです。

ブローカーが介在して、本来の布施収入には非課税である宗教法人の売買があることは、司法書士の先生から15年前から聞いていました。

重大な案件が起きてからでないと動かないのが行政ですから、それだけ問題視されてきたわけでしょうね。

人口減少でお寺が成り立たなくなったと、インタビューで某住職がお答えになっていました。年金制度と同じで、人口減少ばかりでなく、給付と負担の不均衡が根本にあると認識しています。

また戦後80年の間、教職や公務員をしながら生計を立てるご住職が多くいらっしゃいました。うちの祖父もそうでした。
先日ある兼業の後輩和尚がお嫁さんに「なんで外で稼いできたもの(サラリーマン収入)をお寺の維持費に入れないといけないの?」と聞かれたそうです。「奥さんの言う通りだよ。サラリーマン収入を昔はお寺に入れていたけど、あまり好ましくないね。」と答えていました。

いろんな要因があって、時代背景も変化して、お寺のサポーター的存在の檀家さんの意識が変わっていくわけですね。

文化庁の調査は、栄枯盛衰のある宗教法人に刺激を与えることになることでしょう。宗教法人の売買は好ましくはありません。本当に安心をもたらす使命感のある人が布教を続ける時代になっていくことでしょう。

ニュースには、ジャーナリストの鵜飼さんもインタビューに答えておられました。これから鵜飼さんにお会いすることが多くなるので、ご意見を伺っていきたいです。

29年前に住職になってから、「お前のお寺はいずれ統廃合対象だよ。」と言われた和尚さんのお寺が今は危機的状況になっています。

「父母未生以前の本来の面目」という言葉が夏目漱石の小説の門にあります。横田南嶺老師のご法話でよくお聴きします。
30年来追い求めてきた本来の面目を、これから先に展開して、この困難な時代を乗り切っていきたいです。

山あいのお宅への訪問

各務原市の鵜沼駅から歩いて15分のお宅に、お仏壇の閉眼法要に行って来ました。
この辺りは山あいの住宅地で、築50年ほどのお宅が多くありました。
犬山市の瑞泉寺の檀家さんや墓地会員のお宅が、鵜沼駅周辺に多くあるようです。
30年前の雲水時代は、車の運転免許がないこともあって、月参りやご葬儀の脇僧に出仕することはなく、いわゆる窓際族で、この辺りに出向いたのはありませんでした。

今日は車の運転で向かおうかと思いましたが、駐車場がないようで、電車で大垣駅から鵜沼駅まで向かい、鵜沼駅から坂道を15分歩いて移動しました。

歩いていると、30年前は運転免許がなく窓際族でしたが、かえってよかったと思いました。今でも運転に難があり、この坂道や山細道を運転で向かうのはヒヤヒヤします。
また、今は小さなお寺の住職という気楽な立場で活動していますが、20代のルーキー修行僧でも大きな瑞泉寺の看板を背負っているので、お経がうまくなくても、檀家さんは頭を下げて丁重にもてなしてくれます。

自分がえらくなったと勘違いすることがなかったから、今は気軽に活動できるて思います。

7年ほど前の区役所勤務の頃、名古屋駅で瑞泉僧堂の看板袋をかけたまま、新幹線口で大きな声で携帯電話で話しをしている後輩を見つけて叱りました。

自分は、大きなお寺で修行させていただく立場であることを忘れてしまうと、いつまで経っても偉そうに振る舞っしまうのです。

祖父の祥月命日

祖父の40年目の祥月命日で、家族だけでお経を上げて墓前に手を合わせました。


祖父は東京大学を卒業したことを誉れに思い、長年にわたって住職をしながら、岐阜大学の教養課程や岐阜高専で国語を教えていました。
妙心寺の僧堂に掛塔して林恵鏡老師に師事したようですが、程なく召集礼状が届いて軍に出仕したようです。皮肉にも僧堂よりも軍のほうが持ち上げられたようです。

遷化の1年前に勲三等瑞宝章を皇居で授与されて、3ヶ月後に肺がんが見つかり、その2ヶ月後に父の突然の自死で失意のうちに息を引き取りました。檀家さんに「後を頼む。」と言い遺したようです。その恩徳で今のように本堂が修復されました。

11年後に20歳で住職になったのですが、波乱の船出でしたがよい経験をしました。しかし、祖父の威光は時代とともに薄らいでいきました。見方を変えれば地域限定のものでした。
「キミのおじいさんは、檀家10軒しかないのに、一等地というお寺ランクだったんだね。」と、宗派への賦課金が高いので、五等地というランクに下げるように26年前に申請した時、当時の教区長の和尚さまに嫌味を言われました。

 

いつも、祖父の祥月命日が近づくと、宗派への賦課金の払込書が届き、このことを思い出します。一昨日、払込書が届き、さっそくネットバンキングで納付したことを祖父母の墓前に伝えました。

先人の想いを継承していくには、すべて先人の足跡をなぞっていては難しいものです。最初の10年はなぞっていっても、修正すべきものは修正して、残すべきものは残すという振り分けが大切であると思います。

濡れ縁の雑巾掛け

本堂の濡れ縁が黄砂や花粉で汚れてきて、雑巾掛けをしました。
雑巾を掛けると、緑色の粒子が雑巾についてくるのが、この時期の特徴でしょうか。
いつもよりも念入りに掃除をして、床の上を歩いていると、滑ってしまいました。きれいに掃除できたからと喜ぶべきか、運動神経が悪いからと思うべきかわかりません。

未成年の頃は、ボロボロで通行止めになったこともありますが、安心して歩行できるのはありがたいことです。
歩歩是道場という禅語を思い出しました。歩いて移動している空間も道場であるのでしょう。甥っ子が来ると走るので、気を注意しなければいけません。

徳秀寺で役員会

大垣市の徳秀寺で、地元の教区エリアの役員会がありました。
この辺りはお寺の数は多いのですが、お寺単独で生計を立てるほどの経済力のあるお寺は少数です。
手を取り合ってやっていくために、集まって協議しています。
こちらの横関ご住職とは30年来のお付き合いで、横関ご住職は私が生まれる前から、うちのお寺で家族全員でお越しくださったようです。
次世代にどうバトンリレーしていくのかが、今後の課題となりました。