昨日までの腰の激痛が和らぎ、いつも通りの仕事をしていました。
午前中は本堂で法事がありました。故人は和歌山県東牟婁郡太地町のご出身であることを昨年お聴きしました。新宮市に近く、横田南嶺老師から故郷のお話しをお聴きすることをお話ししました。

このお寺の世界は、あらゆるところでつながっているから不思議です。
明日も私のうまくない運転で移動します。どこで何をしていてもわかってしまう時代になり、効率よく往来していきたいと思います。

昨日までの腰の激痛が和らぎ、いつも通りの仕事をしていました。
午前中は本堂で法事がありました。故人は和歌山県東牟婁郡太地町のご出身であることを昨年お聴きしました。新宮市に近く、横田南嶺老師から故郷のお話しをお聴きすることをお話ししました。

このお寺の世界は、あらゆるところでつながっているから不思議です。
明日も私のうまくない運転で移動します。どこで何をしていてもわかってしまう時代になり、効率よく往来していきたいと思います。

ギックリ腰の痛みをこらえて、庭掃除をしています。
甥からも指摘される私の腰の悪さですが、なぜか5月の終わりになると発症します。気候がよくなると動きたくなる性格があるからなのです。

少しずつ体重を減らして、省エネで動いていきたいところです。
移植したドウダンが、穏やかにそびえています。

雨が降る予報が出ていましたが、曇り空が続いて湿気が多くありました。
そんな中でも、庭木の剪定作業が進み穏やかな雰囲気になっていきました。
竹でできた柵を撤去すると、今までよりも広々とした空間になりました。
曠然自適という名の通り、広々としています。

うちのお寺は穏やかで、幽霊など出ることのない樹木葬墓地があります。
お昼過ぎに永代供養墓への納骨式がありました。うちのお寺は暇かなと思うとお客さまがお越しになります。
住職の腰が痛くなり、ギックリ腰になりました。張り切り過ぎという声を背にして、激痛に負けず動き回っています。

母の体調が回復せずに、病気平癒の祈願をしたのですがなかなか佳くなりません。
一縷の望みで、私が15年来お世話になる名古屋駅近くの内科の先生に電話して受診することになりました。
私の下手な運転で名古屋駅まで行き、診察を受けました。先生は老練で高齢の母の体調を察して適切な対応をしてくださいました。お薬をいただいて服用して、少しずつ調子を取り戻してきました。やれやれと言ったところです。

私が祈願をしたところで気休めにしかならないようですが、回り道をして区役所勤務をしていたことがあって、名医の先生に診てもらい一命を取り留めることができました。
無事是貴人いや平常心是道と言ったところで自己満足でしょうね。うまく行かなかった人生だから、ピンチで適切な対応できるのかもしれません。

ドウダンツツジの移植作業が朝から夕方までかかって終わりました。

今の北側の駐車場が池であった頃からドウダンはありましたが、庭の模様替えやらで配置替えをしました。
また駐車場の拡張の予定や、庭木が枯れたところに移し替えようと思い、庭吉の高木 雄基社長に無理を言って移植作業を進めていただきました。

絶妙の配置に移し替えてくださり感謝しております。後は毎日ケアして、根付いていくようにと願っております。

松の木も元気にそびえていて何よりです。猫ちゃんも安心して休んでいます。

3日連続で後期高齢者となる母を病院に連れて行きました。
母は大病院の大垣市民病院へと主張しますが、まずは町医者からと午前8時からネット予約を始めました。
デイトレーダーのようにLANケーブルで接続したパソコンからの予約で、8時ちょうどにクリックしましたが、午前31番目の予約でした。ネット予約の上手がいるものです。
クリニックへ行き、医師の診察を受けました。昨日一昨日の大垣市民病院の救急外来での診断とは異なります。母は、「市民病院の先生はこうおっしゃった。」とお経の如是我聞のように主張します。
横から、「市民病院の先生は研修医の先生で、診断が異なるのは当然だよ。」と先生の気分を害さないように言いました。
薬をもらって、帰りの車で、「大病院の研修医の先生と、町医者の先生とどちらも使命感をお持ちだよ。でもどちらの先生がベテランかな。」と話していました。

「犬山市の瑞泉寺の雲水や各務原市の少林寺の従業員をしていたとき、檀家さんや出入りの業者さんやお付き合いのある和尚さんが私に頭を下げるのは、老師さんや和尚さんに対してのものだったね。うちの大源寺で29年前に住職になった時は、皆さまが祖父母に対してのお辞儀だったね。いま私を訪ねてくるのは、祖父母を知らない方が多いね。」などと述懐していました。
権威を頼らずに、どなたがこちらの思いを受け止めくれるのか考えるべきですね。私のように権威のない者は、「一無位の真人」となって、皆さまの思いを受け止めていきたいと思います。
明日明後日も母の診察の付き添いです。運転のうまくない私に務まるのか甚だ心配ですが、責務と思い同伴していきます。
出張が多過ぎるから、お寺にいて親孝行しなさいという仏様の思し召しであるようです。

昨晩、母が原因不明の体調不良が起こり、渋る本人を説得して大垣市民病院の救急外来に連れて行きました。
お若い先生に診断していただき、点滴を受けて帰宅しました。
弟にも連絡しました。いつもはなかなか既読すら付きませんが、「すぐに駆けつける。」というメッセージがあるので、後ろ姿の写真を送って不要であることを伝えました。

大叔父は、昔の電電公社で電報の業務に従事していました。私はモールス信号を覚えられないことでしょう。
今ではメールやLINEがあるので、「ミマイフヨウ」という電報の短文よりも現況がわかりやすく伝わります。
今日は出張を中止して、留守番をしています。

臨済宗妙心寺派の大垣周辺エリアのお寺のまとまりを「部」とお呼びして、大本山妙心寺からの通達をお聞きして、団体参拝や檀信徒大会を力を合わせて活動しています。
午後2時から1時間半かけての総会がありました。多くの和尚さまは法衣を着て、ピシッと背筋を伸ばし聞いておられました。私は作務衣を着て、iPadでメモを取りながらのスタイルで会議に出ていました。
こちらは大垣市のふれあいセンターで、会議やサークル活動に部屋を貸したり、介護ステーションも併設されているようです。おそらくこちらの職員さんは、大垣市役所のOBで、亡父と同僚であられた方々なのでしょう。
壁にかけられた額は、小学生の頃に通った林汀園先生の作品で、松尾芭蕉の奥の細道の一節でした。この先生は厳しかったです。旦那さんは学習塾を経営されていて、私の学力ではついていけないようなハイレベルな教育が行われていたことを思い出しました。
この歳になると、封印していた過去の出来事が自然と湧き起こってくるから不思議です。松尾芭蕉と曾良のやり取りのようなやり取りがよみがえってくるようです。
かと言って、老け込むわけにもいかず、衰えを見せないように過ごしています。

NHKニュースで、多治見市の虎渓山永保寺の国宝の開山堂の市民公開をされていると放映されていました。
普段はお目にかからないお仏像や、ご開山の夢窓疎石国師の木像を拝みたいと思います。
面長の夢窓国師のお顔は、どこのお寺の木像や頂相(ちんそう 肖像画)とも共通していますね。
写真などない室町時代での夢窓国師のご人徳が伝わってきます。

昨日までの雨から一転して、きれいな五月晴れの朝となりました。
樹木葬墓地がうっそうとしてきたので、近いうちに剪定作業を進める予定です。
お花がしおれてきたので、片付けをしていました。

昨日は、MRI検査と2つの勉強会と懇親会で、クタクタになって帰宅しました。
勉強会の振り返りをします。今は物価が高くなり人手不足の影響で、コロナ禍以前よりも暮らしにくくなりました。
コロナ禍前に、鐘楼の修復や樹木葬墓地の開苑をしておいて、コロナ禍の最中にいろんな苦難があっても庫裡の建て替えをしました。
ご近所や同業者のそしりがあっても、使命感があってこそ進めることができました。
使命感とビジョンがなくては、これからの寺院経営は進んでいきません。
いろんな誹謗中傷があったとしても、前に進んでいく「八風吹けども動ぜず。」と昨日一日で学び、これから活かしていきます。
