紅白のサルスベリ

境内に咲く、紅白のサルスベリ。

一時は枯れかけ、もう花を咲かせることは難しいのではないかと思った時期もありました。
それでも、少しずつ枝に力を取り戻し、今年もこうして美しい花を咲かせてくれました。

大源寺もまた、かつては廃寺の恐れがありました。
先の見えない時期を越え、多くの方々とのご縁に支えられながら、今日まで歩んでまいりました。

枯れかけた木が再び花を咲かせる姿は、どこか大源寺の歩みと重なります。

そこで今回、紅白のサルスベリをモチーフにした、大源寺の紋章を考えてみました。

三つの花は、過去・現在・未来。
大地から伸びる枝は、ご先祖から次の世代へと続くご縁。
紅白の花には、困難を越えて再び咲く、希望と再生への願いを込めています。

大きなお寺ではありません。
しかし、地域の中で必要とされ、訪れる方が少し心を休められる場所でありたいと思います。

今年も咲いたサルスベリを眺めながら、
このお寺もまた、ゆっくりと、しなやかに、花を咲かせ続けていきたいと思いました。

 

お二人の老師の対談を拝見しました。

昨晩、帰りの新幹線の車内で、円覚寺派管長の横田南嶺老師と妙心寺派管長の山川宗玄老師の対談(花園大学)をYouTubeで拝見しました。

本来であれば会場で直接お話をお聴きしたかったのですが、母の病院への送迎があり、参加することはできませんでした。それでも、後からこうして学ぶ機会をいただけることは、本当にありがたい時代だと感じます。

老師さま方は、つい「特別な存在」として見られがちです。しかし、お二人のお話から伝わってきたのは、迷いや葛藤、納得できない出来事とも向き合いながら修行を積み重ね、その歩みの中から仏法を伝えてこられたという姿でした。

だからこそ、その一つひとつのお言葉には重みがあり、深い説得力があります。

若い頃、ある方から「親の指導が悪い。要領がいい者がいい」という言葉を聞き、大きな落胆を覚えたことがあります。

しかし今回、お二人の対談を拝見し、仏道とは「要領の良さ」を競うものではなく、迷い、悩み、立ち止まりながらも、自分自身を見つめ続ける歩みなのだと、あらためて教えていただいたように思いました。

これからも、一つひとつのご縁を大切にしながら、学びを止めることなく、自分自身も歩み続けていきたいと思います。

合掌

一族意識から信仰共同体へ

近所の檀家のおばさんがやって来て、テレビの部屋で母と三人、しばらく茶飲み話をしていました。

最近、親戚の葬儀があり、いとこ同士が集まったそうです。

私にも、知っているだけでいとこが四人います。けれど、今ではほとんど交流がありません。

四十一年前、父の葬儀の時には、私の知らない伯父さんが参列していて、子ども心にとても驚いたことを覚えています。

親戚の少ないわが家ですが、いつか母の葬儀を迎えることがあれば、今度はお坊さんが大勢参列し、親戚の皆さんがびっくり仰天されることでしょう。

近年は「家族葬」が増え、葬儀は小規模になってきました。

けれど、一族意識の強い家では、家族だけで静かに送ろうと思っても、なかなか小さくはできないのだと思います。

大源寺の昔からの檀家は、わずか十軒ほどです。

それでも、小学生だった私の拙いお経を聞き、二十歳で住職になった私を受け入れてくださった。

それは、お寺が信仰の場であると同時に、一族や地域の結びつきを象徴する存在でもあったからなのでしょう。

しかし、その一族意識も次第に薄らぎ、私たちの世代を最後に消えていくのかもしれません。

だからこそ、これからのお寺は、一族意識に支えられた共同体から、信仰によって緩やかにつながる共同体へ、今さらながらモデルチェンジしていく必要があるのだと思います。

血縁や家のつながりが薄くなっても、

「ここなら安心して相談できる」
「ここで手を合わせたい」
「このお寺とご縁を結びたい」

そう思っていただけるお寺であること。

檀家や門徒の世帯数は、確かに大切な数字です。

しかし、それはお寺の力を測る一つの指標にすぎません。

これから問われるのは、何軒の檀家があるかではなく、どれだけの人が安心して集い、祈り、支え合えるかではないでしょうか。

一族意識から、信仰共同体へ。

これからの大源寺の歩む道を、茶飲み話の中で改めて考えさせられました。

祖父の母校の前で

祖父が卒業した東京大学。その赤門の向かいにある法真寺で開催された、T-sousaiの勉強会に参加しました。

今回の勉強会は、築地本願寺や西本願寺で改革に携わってこられた安永雄彦さんのご講義を中心に進みました。

安永さんは、銀行勤務や経営コンサルタントとしての経験を経て、50歳で得度。築地本願寺では宗務長として、カフェや合同墓、会員制度など、従来のお寺の枠にとらわれない改革を進められました。その後は西本願寺でも、組織改革や寺院の将来に関わる仕事に携わってこられた、仏教界では大変異色の経歴を持つ方です。

今回のご講義は、いつも以上に厳しい論調でした。

「今までと同じことを続けているだけでは、多くのお寺はこれから存続できなくなる」

人口減少、檀家制度の弱体化、葬儀や供養に対する価値観の変化。お寺を取り巻く環境は、私たちが思っている以上の速さで変わっています。

特に痛感したのは、住職が外で働いて稼いできた給料で、お寺の赤字を補填するという、私たちの地元でも見られる寺院経営のあり方は、今後ますます難しくなるということです。

これまでは、兼業住職が学校や役所、会社などで働き、その収入によって寺院を守ることができました。しかし、住職自身の高齢化や後継者不足、働き方の変化を考えれば、その方法だけに頼り続けることには限界があります。

お寺そのものが、地域や社会に必要とされ、人が集まり、継続して運営できる仕組みをつくっていかなければなりません。

大源寺では、樹木葬や納骨堂、永代供養、葬儀や法事、寺報やLINEによる情報発信など、時代に合わせた取り組みを進めてきました。

しかし、今回のお話を伺い、まだまだ現状に安心してはいけないと感じました。

伝統を守ることと、何も変えないことは同じではありません。

守るべきものを守るためには、変えるべきところを勇気をもって変えなければならない。地域との接点を増やし、悩みや不安を抱える方に寄り添い、お寺が社会の中でどのような役割を果たすのかを、これまで以上に明確にしていく必要があります。

今回の勉強会は、大源寺を護持し、次の世代へつないでいくための、大いなる学びとなりました。

祖父が学んだ東京大学の赤門を眺めながら、私もまた学び続け、考え続け、行動していかなければならないと、気持ちを新たにしました。

お寺の未来は、誰かが守ってくれるものではありません。

今を生きる私たちが、未来を見据えて一歩ずつ築いていくものです。

和尚 暇か?

15年ほど前、区役所に勤めていた頃のことです。

私の隣の席には、母と同い年の男性職員が座っていました。
そこへ、やはり母と同い年くらいの別の職員が、うちわを片手にふらりとやって来ます。

そして、開口一番。

「和尚、暇か?」

特別な用事があるわけでもなく、仕事の合間の世間話。
私も椅子に座ったまま、あれこれと話をしました。

寺の世界では、若い頃から「住職さん」「和尚さん」と呼ばれ、良くも悪くも持ち上げられて生きてきました。周囲もどこか遠慮があり、対等な立場で話してくれる人は、案外少なかったように思います。

ところが区役所では、住職である前に、ただの一人の同僚です。

「和尚、これどうなっとる?」
「和尚、昼飯は食ったか?」
「和尚、暇ならちょっと聞いてくれ」

敬意がないわけではありません。
しかし、必要以上に持ち上げることもない。

この少し遠慮のない距離感が、私にはとても新鮮でした。

お寺の外に出て働いたことで、私は初めて、肩書きを外した自分として人と付き合うことを覚えたのかもしれません。

今でも、うちわを持ってやって来たあのおじさんの、

「和尚、暇か?」

という声を、懐かしく思い出します。

偉く扱われるよりも、気軽に声を掛けてもらえることの方が、ありがたい時もあります。
あの区役所での日々は、住職としての私に、人と対等に向き合うことの大切さを教えてくれました。

傘を振り回すお婆さん

今から14年ほど前、区役所で生活保護の仕事をしていた頃の話です。

年金支給日が近づくと、決まって生活保護の窓口にやって来るお婆さんがいました。

手には傘。

そして傘を振り回しながら、

「あんたらが、私の年金をネコババした!」

と訴えるのです。

もちろん、役所が年金をネコババするはずもありません。

職員が制度や支給状況を一生懸命説明しても、なかなか納得してもらえませんでした。

ところが、なぜかお婆さんは私を指名します。

「この人は年金担当や」

私は担当ケースワーカーではありません。

それでも、ご指名ということで、私がお相手することになりました。

8月に入り、その日もいつものように、

「年金をネコババした」

という話が始まりました。

そこで私は、お婆さんに聞きました。

「ところで、旦那さんのお墓参りには行っているの?」

お婆さんは少し驚いた顔をしました。

私は続けて、

「年金のことで役所にクレームを言いに来るのに、旦那さんのお墓参りに行っていないと、報われないよ」

今思えば、細木数子さんのようなことを言っています。

おおよそ役所職員の言うことではありません。

ところが、お婆さんは急に静かになり、そのまま帰っていきました。

近くで様子を見ていた正職員が、あきれたように言いました。

「桑海さんは、適当なことを言って相手を納得させるから不思議だ。私らは必死になって説明しているのに」

私も、

「いやいや、事務処理はイマイチです」

と答えておきました。

制度を正確に説明することは、もちろん大切です。

しかし、人は正しい説明だけでは、気持ちが収まらないこともあります。

その人が本当に訴えたいのは、お金のことではなく、寂しさや不安、誰かに話を聞いてほしいという思いなのかもしれません。

あの頃の私は、役所職員としては少々型破りでした。

けれど、お寺の住職として今振り返ると、相手の言葉の奥にあるものを感じ取ろうとしていたのかもしれません。

もっとも、役所で同じ対応をすることは、あまりおすすめできませんが。

本寺と末寺の関係性が今なお続く、

最近、改めて感じることがあります。

岐阜県内の臨済宗のお寺には、今も本山・本寺・末寺という、長い歴史の中で築かれてきた関係性が残っているように思います。

教区の会合やでも、本寺クラスのお寺のご住職が中心となって進められる場面が多く、末寺の住職は支える側に回ることが少なくないと感じます。

もちろん、歴史ある秩序や儀礼作法は、臨済宗の伝統を受け継ぐうえで大切なものです。

ただ、その一方で、教学を深めることや、寺院経営、地域とのつながり、これからの布教のあり方についても、もう少し自由に学び合い、語り合える場があってよいのではないかと思っています。

私自身、18年前に教区の中で心に残る出来事があり、それ以来、教区の会合から少し距離を置くようになりました。

その代わりに、東京や鎌倉での臨済宗の学び、そして宗派を越えた会合に参加する中で、多くの刺激や気づきをいただいています。

現在は、神戸町仏教会や西濃仏教会の活動を通して、浄土真宗、曹洞宗、真言宗、日蓮宗など、他宗派のご住職方とご一緒する機会にも恵まれています。

宗派が違えば、教えも作法もさまざまです。

それでも、

「地域の人々に何ができるのか」

「お寺を次の世代へどうつなぐのか」

「寺院の未来をどう築いていくのか」

という問いは、宗派を越えて共通しています。

むしろ、違う立場の方々と語り合うことで、自分たちの当たり前を見直し、新しい発想が生まれることもあります。

伝統を守ることは大切です。

しかし、本当に伝統を未来へつないでいくためには、時代に応じた小さな維新も必要なのだと思います。

古いものを否定するのではなく、大切なものは残しながら、閉じた関係に少しずつ風穴を開けていく。

教学を深め、寺院経営を学び、地域社会と向き合い、小さなお寺や若い住職も安心して意見を交わせる。

そんな場が広がっていけば、臨済宗の寺院の未来も、より豊かなものになるのではないでしょうか。

私もこれから、教区という枠だけにとらわれず、他宗派との仏教会活動や全国の学びの場を大切にしながら、大源寺なりの歩みを続けていきたいと思います。

本日、徳秀寺の施餓鬼法要にお参りさせていただきました。

境内には多くの檀家の皆さまが集われ、静かな祈りの時間が流れていました。ご先祖さまや亡き方々を偲び、心を一つに手を合わせる姿がとても印象的でした。

ご住職のお人柄を慕い、毎年多くの方がお参りされていることが伝わってきます。長年にわたり地域とのご縁を大切にし、檀家の皆さまから深く信頼されていることを改めて感じました。

施餓鬼は、ご先祖さまへの感謝だけでなく、「今、生かされている私たちが、周りの人とのご縁を大切にして生きること」を見つめ直す大切な法要でもあります。

私自身も、多くのことを学ばせていただいた一日となりました。

悩み苦しみのある所にこそ仏教を

15年前、お寺の世界で思うように歩めず、ご縁があって区役所で生活保護の仕事に携わることになりました。

当時は「遠回りをしてしまった」と思っていました。

しかし、相談窓口で多くの方と出会う中で、その考えは少しずつ変わっていきました。

生活保護を受ける方、高齢で身寄りのない方、病気や障がいを抱えた方、人生で何度もつまずいた方…。

誰もが、それぞれの事情や苦しみを抱えながら、一日一日を懸命に生きておられました。

仕事をしていて強く感じたのは、仏様の慈悲が、まだ十分に衆生へ行き渡っていないという現実です。

お寺に足を運ぶ機会がない方。
仏教の教えを知らないまま、不安や孤独の中で暮らしている方。

そんな方々が、決して少なくありませんでした。

だからこそ、区役所での経験は、私にとって僧侶としての修行でもあったのだと思います。

人は誰でも失敗をします。
私自身もそうでした。

だからこそ、人を裁くのではなく、その人の苦しみに寄り添うことが、お寺の役目ではないでしょうか。

仏様の慈悲は、お寺の中だけにあるものではありません。

悩みを抱える人のいる場所へ。
苦しみのある現場へ。

そこにこそ、仏法が必要なのだと、区役所での日々が教えてくれました。

あの経験があったからこそ、今、目の前のご縁を以前より深く受け止められるようになった気がしています。

 

合掌

今の苦手が、一生の苦手とは限らない。

中学校2年生の頃、私は美術の時間が苦手でした。

絵を描くことが思うようにできず、美術の授業が近づくと気持ちが重くなり、学校を休んでしまったこともあります。

当時は、その気持ちを誰かにうまく伝えることができませんでした。
「怠けている」「やる気がない」と思われるのがつらかったことを覚えています。

今回、その頃の自分をAIでイラストにしてみました。

一枚の絵を見るだけで、あの頃の不安や居場所のない気持ちが伝わってくるように感じます。

いまはAIのおかげで、言葉だけでは伝えにくい心の状態や思い出を、誰にでもわかりやすく表現できる時代になりました。

もちろん、AIが人生を生きてくれるわけではありません。
それでも、自分の心を整理したり、人に気持ちを伝えたりするための新しい道具として、大きな可能性を感じています。

振り返れば、美術が苦手だった少年が、今ではAIを使ってポスターを作りを掲示物まで作るようになりました。

苦手だった経験も、年月を経て別の形で役に立つことがあります。

だからこそ、いま何かが苦手で悩んでいる子どもたちにも伝えたいのです。

「今の苦手が、一生の苦手とは限らない。」

人生は、思いがけない形で道が開けるものですね。