コンビニ店員さんとの会話

近所のコンビニへ立ち寄ると、顔なじみの女性店員さんと会話を交わします。

私がまだ20代だった頃から、この店で働いておられる方です。

「もう、何年になりますか」

そう尋ねると、店がオープンした当初から、26年間も勤務されているとのことでした。

26年と聞いて、あらためて驚きました。

私が20代から50歳を迎えようとする今日まで、お寺のこと、仕事のこと、家族のことなど、さまざまな出来事がありました。その長い年月、同じ店のレジに立ち、地域の人たちを迎え続けてこられたのです。

コンビニは、商品を買うだけの場所と思われがちです。しかし、いつもの店に、いつもの人がいる。その安心感は、地域にとって案外大きなものなのだと思います。

店員さんもまた、若かった頃の私を知る、地域の大切な証人なのでしょう。

短い会話を交わしながら、自分もずいぶん年齢を重ねたものだと感じました。

変わり続ける町の中に、変わらず迎えてくれる人がいる。

何気ない買い物のひとときに、26年という歳月の温かさを感じました。

パソコン作業

母と机を挟んで向かい合い、それぞれパソコンで事務作業をしています。

書類を確認し、数字を入力し、ときどき言葉を交わす。
この光景を眺めていると、区役所に勤めていた頃を思い出します。

役所では、机や窓口を挟んで、さまざまな事情を抱えた方と向き合いました。
生活や家族、病気、お金のこと。書類の向こうには、いつも誰かの暮らしがありました。

あれから時が流れ、今はお寺の和室で、母と向かい合っています。
扱う書類は変わりましたが、人の暮らしを支えるための仕事であることに変わりはありません。

若い頃は、仕事とは外へ出て働くことだと思っていました。
けれど今は、身近な人と机を囲み、寺と家族の日常を整えることも、大切な仕事だと感じます。

区役所にいた日々と、住職として過ごす現在。
遠く離れているようで、一本の道でつながっているのかもしれません。

母が目の前にいて、同じ机で仕事ができる。
何でもないこの時間も、いつか懐かしく思い出す日が来るのでしょう。

苦しんでいる君へ

8月29日付の日本経済新聞に掲載された、女優・戸田菜穂さんのコラム「苦しんでいる君へ」を読みました。

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戸田さんは、夏休みが終わる頃、子どもの自殺に関するニュースに胸を痛め、「耐えられない場所にいるのなら、逃げてもいい」と語りかけています。学校を転校してもいい。別の土地へ行ってもいい。命を守ることが何より大切なのだ、と。

そして、学校という場所は、社会全体から見れば小さな世界にすぎず、大人になれば自由が増え、選べる道も広がっていくと伝えています。

この言葉は、子どもたちだけでなく、組織の中で苦しんでいる大人にも当てはまると思います。

私自身、18年前、同じ教区の中でいじめを受け、心を病みました。入院するほど追い詰められても、見舞いに来る人はなく、返ってきた言葉は「あんたが悪い」の一言だけでした。

それ以来、長老や声の大きな人の意見が通り、周囲がそれに従うような教区の会合からは、距離を置いてきました。

岐阜の一部の寺院社会には、地域のつながりを大切にする反面、同調圧力が強くなりやすい面があると感じます。寺院数は多くても、檀家が50世帯以下の小規模寺院が少なくない土地柄です。限られた人間関係が長く続くことで、古い序列や閉鎖的な空気が残りやすいのかもしれません。

しかし、地元の教区だけが、僧侶の世界のすべてではありません。

住職塾や「まいてら」、船井総研などの集まりでは、宗派や地域、世代を越えて、寺院の将来を率直に語り合うことができます。同じ臨済宗でも、東京での集まりは楽しく、互いを尊重しながら学ぶことができます。

戸田さんが「学校という小さな社会だけが世界のすべてではない」と伝えているように、地元の教区もまた、広い仏教界の一部分にすぎません。

組織から距離を置くことは、逃げでも敗北でもありません。自分の心と命を守り、住職としての務めを続けるための選択です。

苦しんでいる場所だけが、世界のすべてではありません。
心を壊してまで、そこに居続ける必要はありません。

自分を否定する人たちから離れれば、自分を生かしてくれる仲間や、新しい学びの場に出会えることがあります。

子どもにも、大人にも、僧侶にも、居場所はひとつでなくていいのです。

自ら選び取るお寺の道

41年前、父が亡くなりました。
その翌年には、祖父も亡くなりました。

まだ子どもだった私は、月参りに出かけ、近隣のお寺の施餓鬼や大般若祈祷にも参列するようになりました。お寺を守るためには、そうするほかなかったのだと思います。

しかし、次の世代には同じ経験をさせたくありません。

幼いうちから限られた地域のやり方だけを身につけると、それが当たり前になってしまいます。本山や僧堂へ修行に行っても、後から直すのは容易ではありません。

お坊さん同士の前では必要以上に低姿勢なのに、学校や檀家さんの前では、知らず知らずのうちにぞんざいな態度を取ってしまう――。閉じられた環境の中では、そのような偏った振る舞いが身につくこともあります。

もう一つ怖いのは、「自分さえ痩せ我慢すればよい」と思い込んでしまうことです。

確かに、我慢することも修行の一つでしょう。
しかし、何のために耐えるのか、その先にどのような人間になりたいのかが見えなければ、修行はただ身と心を苦しめるものになってしまいます。

「国のため」「家のため」という言葉のもとで、個人の思いや人生が押し込められた時代がありました。家を支えるために、自分の意思とは関係なく人生を差し出さざるを得なかった人々もいました。

お寺を守ることも、それと同じであってはなりません。

生まれた家によって、進む道を決められるのではなく、まず自分の人生を生きてほしい。さまざまな経験を重ね、自分なりの目標を見つけたうえで、それでも仏道を歩みたいと思うなら、その時に選べばよいのです。

お寺を継ぐことは、義務や犠牲であってはなりません。
本人が意味を見いだし、自ら選び取る道であってほしい。

私が幼い頃に背負ったものを、次の世代にそのまま背負わせないこと。
それもまた、今の私にできる大切な務めだと思っています。

二足の草鞋の限界

大源寺は、もともと小さなお寺でした。

正式な檀家は、十軒にも満たない宇野一族が中心でした。瀬古集落には浄土真宗の門徒さんが多かったのですが、宗派の違いを越えて、大源寺を「ムラのお寺」として支えてくださいました。

臨済宗とはどのような宗派なのか。老師と、学校の校長を務める和尚さんとでは、どちらが偉いのか――。

そんなことにはあまり頓着せず、地域のお寺として大切にしてくださったのでしょう。

祖母が昭和15年に嫁いできたときには、想像していた以上に小さなお寺で、「騙された」と思ったのではないかと聞いています。

檀家といっても、ほとんどが一族です。お寺に十分な預貯金があったわけでもなかったようです。

祖母は子どもに恵まれず、「実家へ帰されるかもしれない」という不安も抱えていたそうです。今とは比べものにならないほど、寺に嫁いだ女性に厳しい時代でした。

一方、祖母の実家は大地主で、小作料を主な収入として暮らしていました。

大源寺の近隣にも、蔵を構え、敷地が四百坪を超えるような大きなお屋敷があります。かつては、田畑を小作に出し、その小作料で家を維持していたお宅もあったのでしょう。

しかし、戦後の農地改革によって、地主の生活は大きく変わりました。

小作料を頼りにしていた家は収入源を失い、広い屋敷や蔵を維持するために、家の者が外へ勤めに出なければならなくなりました。

大源寺には、失うほどの小作料収入も、多くの檀家からの収入もありませんでした。祖父が教員として働き、その給与で寺と家族の生活を支えていたため、農地改革の直接的な影響は比較的小さかったようです。

大きなお屋敷を守るにも、小さなお寺を守るにも、外で働いて収入を得なければならない時代になったのです。

戦後、檀家数が二桁ほどのお寺では、住職が教員や公務員として勤めることが珍しくありませんでした。

「寺を守る」
「家名を絶やさない」

その強い使命感が、二足の草鞋を履かせてきたのでしょう。

私がお寺の仕事だけで生計を立てられているのは、実力だけではなく、時代やご縁に恵まれた部分が大きいと思っています。

ある後輩のお坊さんが、こんな悩みを話してくれました。

「妻が、外で働いて稼いだお金を、どうしてお寺に入れなければならないのかと怒るんです」

私は答えました。

「奥さんが怒るのは当然だよ。本来は、奥さんがお寺から給与を受け取る立場なんだよ」

住職やその家族が、外で得た収入を無償で寺へ注ぎ込み続ける。

それを「奉仕」や「寺を守る覚悟」という言葉だけで当然視していては、いつか家族が疲弊します。次の世代に引き継ぐこともできません。

戦後間もなくから続いてきた「二足の草鞋」による寺院経営は、今、大きな限界を迎えています。

寺を守る人が、いつまでも寺の奉公人であってはなりません。

寺院が一つの組織として収入を生み、そこで働く住職や家族に、正当な給与を支払う。

その仕組みを整えることこそ、これからのお寺を守ることにつながるのだと思います。

習字教室

書道教室に行ってきました。

ところが今日は、先生が少し遅れてお越しになるという、思いがけないアクシデントがありました。その分、教室は予定より10分延長です。

初めの頃は、筆の運び方も力の入れ具合も分からず、一本の線を書くにも迷っていました。最近は、まだまだ出来栄えはともかく、以前ほど身構えずに筆を動かせるようになってきました。

「上手になった」とまでは言えませんが、少しは書き慣れてきたように思います。

書道もお経も、繰り返し身につけていくものなのでしょう。思うように書けない日も含めて、これからも気長に続けてまいります。

地区花園大会のご案内

禅の教えに親しみ、仏縁を深めるひとときをご一緒しませんか。

令和8年度の地区花園大会を、大源寺本堂にて開催いたします。

花園会は、開山無相大師ならびに興祖微妙大師のご遺徳を偲び、禅の教えに親しみながら、仏縁を深めることを目的としています。

当日は、九州西教区・福岡市の龍松寺ご住職、武久寛海師をお迎えし、ご法話をいただきます。

布教テーマは、

「少水の魚に楽しみあり。
―いま、ここを生きるしあわせ―」

です。

慌ただしい毎日のなかで立ち止まり、「いま、ここ」にある幸せを見つめるひとときとなれば幸いです。

皆様お誘い合わせのうえ、ご参加くださいますようお願い申し上げます。

■日時
令和8年(2026年)9月25日(金)
午後2時より

■会場
春日山 大源寺 本堂
岐阜県安八郡神戸町瀬古256-1
電話:0584-27-2092

■内容
・花園会員先祖供養
・武久寛海師によるご法話

■ご法話講師
武久 寛海 師
臨済宗妙心寺派 九州西教区
福岡市・龍松寺ご住職

■参加費
お一人 1,000円

 

宗派の行事が初めての方にも、親しみやすくお聞きいただけるご法話です。どうぞお気軽にご参加ください。

皆様とのご縁を、心よりお待ちしております。

思いがけぬ

スーパー銭湯で、思いがけない方にお会いしました。

うちのお寺へお参りに来てくださる、95歳のおじいさんです。

この方は90歳を過ぎてから、般若心経を一生懸命覚えておられます。

年齢を重ねても、
「覚えたい」「お経を唱えたい」
というお気持ちを持ち続けておられる姿には、本当に頭が下がります。

私が住職になった頃を思い返すと、私自身を慕ってお寺へ来てくださる方など、誰一人おられませんでした。

祖父母の面影を求めて。
祖父母からいただいたご縁を大切にして。
祖父母の遺徳によって。

そんな思いで、お寺へ足を運んでくださる方がほとんどでした。

それから長い年月が流れました。

今では、私を頼ってくださるご高齢の信者さまも、一人、また一人と増えてきました。

95歳になっても般若心経を覚えようとされる方が、お寺へお参りに来てくださる。

考えてみれば、こんなにありがたいことはありません。

祖父母が残してくれたご縁を受け継ぎながら、少しずつ自分自身のご縁もいただいてきたのだと思います。

スーパー銭湯での偶然の出会いでしたが、住職として歩んできた年月を、ふと思い返すひとときとなりました。

私を頼ってくださる皆さまに、改めて感謝です。

  1. 出会い

世間の評価はいい加減なもの

駐車場をふと見ると、今日はベンツやレクサスが停まっていました。

私は、車種や国産車・外国車といったことで、人の貴賤を見定めるつもりはありません。それでも、普段見慣れない高級車が入ってくると、「おおっ」と少し驚いてしまいます。

もっとも、私自身はコンパクトカーが大好きです。

運転に少々難のある私にとって、大きな車より、小回りが利いて扱いやすい車のほうがありがたい。車は見栄を張るものではなく、安全に目的地まで連れていってくれるもの。それで十分です。

今から41年前、父が亡くなったときのことです。

当時、ご近所の和尚さんや檀家総代さんが母に、

「これからは軽自動車にしたほうがいい」

と勧めたそうです。

母からこの話を聞くたびに、私は「それは余計なお世話でしょう」と思います。

母は毎日、片道30キロほど離れた勤務先の小学校まで車で通勤していました。往復すれば約60キロです。それなら軽自動車か普通車かという世間体ではなく、毎日の通勤に何が安全で使いやすいかで選べばいい。

父を亡くして「母子家庭」になったことで、周囲からいろいろ言われることもあったようです。

しかし実際には、亡くなった父より母のほうが収入は多かった。

「夫がいないから大変だろう」
「母子家庭だからこうしたほうがいい」

そんなふうに、事情をよく知らないまま、その人の暮らしを外側から決めつけてしまう。

考えてみれば、車を見て人を判断するのも、それとよく似ています。

高級車に乗っているから立派な人とは限らない。
小さな車に乗っているから暮らしが苦しいとも限らない。

車の値段は分かっても、人の値打ちは分かりません。

世間の評価というものは、案外いい加減なものです。

だからこそ、人を見るときには、その人が何に乗っているかではなく、どんな道を歩んできたのかを見たいものです。

お墓を守っていくこと

雨が降り出す前に、樹木葬墓地の掃除をしていました。

この季節は、掃いても掃いても落ち葉が積もります。お盆の疲れで私が少し失速している間に、草もしっかり伸びてきました。自然は、こちらの都合を待ってはくれません。

空がだんだん暗くなり、いまにも雨が降りそうになった頃、お墓参りの方がお越しになりました。

少し立ち話をしながら、導入予定の「寺PAY」についてもご案内しました。

「雨が降りそうですので、どうぞお気をつけてお帰りください」

そうお声がけして、お見送りしました。

お墓を守るということは、草を取り、落ち葉を掃くだけではありません。お参りに来られた方と言葉を交わし、安心してお帰りいただくことも、大切なお寺の務めなのだと思います。