月の光がことのほか明るいようです。
26年ぶりに会う旧友からの、お参りの依頼がありました。思い出話をしながら、車で移動していました。
「うちの周りに高速道路ができるとは、思いもしなかったね。」と語っていました。田舎でも少しずつ街並みが変わります。月に照らされるこの風景は変わらないようです。
月の光がことのほか明るいようです。
26年ぶりに会う旧友からの、お参りの依頼がありました。思い出話をしながら、車で移動していました。
「うちの周りに高速道路ができるとは、思いもしなかったね。」と語っていました。田舎でも少しずつ街並みが変わります。月に照らされるこの風景は変わらないようです。
月に一度の「无名会」にて臨済録の講義を聴聞してきました。
臨済禅師は、仏心は自分の中にこそあるのであり、あちこちに探し回ることをいさめておられます。
「求心止むところすなわち無事」と、「腰を据えて自分の中を見つめていれば、仏心に近づくことができる。」と説かれます。
私も数年前は、あちこちと探し回ったものです。腰を据えないことには、何も実行できません。他人の真似事に終わってしまいます。
これでいいのか不安になることがあっても、自分の中にこそ仏様のような智慧があると信じることが、臨済禅師の教えなのです。
澄みきった空をきれいな月が照らしています。
今日は33回目の父の命日です。33年前は、「父は月になるのか。お坊さんになったらわかりかもしれない。」と思ったものです。
庭のドウダンツツジが紅葉を深めています。
明日は父の33回目の命日に当たります。
大自然の働き、故人の思い、仏様の慈悲によって、この身が突き動かされているかのようです。
今宵は十三夜です。きれいな月が一面を照らしています。
昨日今日とお墓参りや見学にお越しいただいております。資料のお求めもあります。
この盛況が一過性のものであってはいけません。どう続けて変革していくのかを考えています。
庭の樹木は、少しずつ紅葉しています。
真夏の暑さでどうなるかと心配しましたが、持ちこたえてくれました。
樹木の強さを感じています。
菊の花が咲き始めました。
深まる秋を感じています
「弘明」と書いて、仏教では「ぐみょう」とお読みすることがあります。仏様の教えを広める意味が含まれているようです。
コツコツとお仕事をされる方へのご戒名に「弘明(ぐみょう)」の二文字をお入れしました。仏様の教えは、毎日の生活の中にあることをお話しさせていただきました。
庭の隅に咲くシュンメイギクです。
穏やかに咲いています。