臘八大摂心(ろうはつおおぜっしん)

臨済宗の僧堂では、12月1日から8日未明まで、臘ハ大摂心(ろうはつおおぜっしん)と言って、ひたすらに坐禅をする期間に入ります。
お釈迦さまが菩提樹のもとで坐禅を続けて、悟りを開かれたことに由来します。

犬山市の瑞泉寺僧堂に「臘八供養」と言って、修行中の食料品の足しにと寸志をお持ちしました。雲水さんに激励をして、大源寺だよりをお渡しして後にしました。

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私がいたときは、突風の吹く中でも、うとうと居眠りをしていたことを思い出しました。
そんな私が住職を続けていることに、お釈迦さまは「奇なるかな。奇なるかな。(何という不思議なことだ。)」と驚いておられるかもしれません。

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フリースタイルな僧侶たち

「フリースタイルな僧侶たち」という宗派を超えたお坊さんの活動を紹介するフリーペーパーがあります。

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最新号には、愛知県春日井市におられる、同じ臨済宗妙心寺派の野田芳樹和尚さまが紹介されています。
「おてらおやつクラブ」と言って、仏さまにお供えされたお菓子などを、生活にお困りのお子さまがいらっしゃるお宅にお送りしていこうという活動を積極的にされています。

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私も裕福ではない母子家庭に育ちましたが、母方の祖母がお菓子を送ってくれたときはうれしかったものです。

この冊子を読んでいるとき、大学時代の同級生から電話をいただきました。「お寺おやつクラブの活動を知ったけど、私も協力したい。桑海くんのお寺にお菓子を送るから、お困りのお宅に届けてほしい。」との申し出をいただきました。

「どなたかのお役に立ちたい。」と考えているときに、手を差し伸べてくださる人がいる。そのようなときにお取り次ぎをすることが僧侶の役割なのでしょう。

 

イチョウ並木

名古屋の若宮大通りのイチョウ並木の下を歩いております。
晩秋の名がぴったりの風景です。

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明日予定をしていた高野山へのお参りは、お弔いがあるので延期になりました。「すなわち近し。」と近いところにある仏心を大切にしたいところです。

お斎の写真

大源寺だよりは文字数が多いとのご意見をいただきます。

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活動内容を見て取ることができるようにと、年中行事の折に檀家の奥さま方が調理してくださる御斎(おとき 昼食のお膳)の写真を掲載することになりました。

法を説くばかりでなく、皆さまにお支えいただくこともお伝えしていきます。

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先日、運転免許証の更新に行き、10年ぶりにゴールド免許になりました。

講習場で視力検査をしました。「お兄さん、メガネかけてるけど視力いいね。メガネいらないんじゃないの。」と職員が話しかけてきます。「これは、伊達メガネですよ。」と冗談を言っていました。

「私の目は一つしかない。私を見る目は無数にある。」とはお釈迦さまのお言葉であるようです。
視野が狭くなりやすいものですから、メガネを離すことは難しいのです。

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曾祖父が臨済宗妙心寺派の布教師を拝命したときの、適任証(免状)を本堂に掲示しております。
日付を見ると、大正2(1913)年5月24日と書かれています。祖父が1歳の時ですから、赤ちゃんと奥さんに留守番をさせて京都の妙心寺にいたようです。

 

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裕福ではないお寺をどう経営していくのかを、曾祖父も試行錯誤していたようです。

三井寺

比叡山延暦寺をお参りした後、天台宗寺門派の総本山である三井寺をお参りさせていただきました。

 

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平安時代の創建と思いこんでいましたが、白鳳時代にまで遡る歴史があるようです。紅葉に囲まれた参道を歩いて、ご本尊の弥勒菩薩をはじめ多くの仏さまにごあいさつさせていただきました。

 

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比叡山延暦寺

琵琶湖の湖畔でのお墓参りをした後、引き寄せられるように比叡山の山頂の方まで向かいました。

 

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延暦寺にある多くのお堂をお参りさせていただきました。車がない時代に、多くの修行者が必死に山頂に登り、仏道を求め続けた足跡を拝見することができました。

 

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法衣姿でお参りしたものですから、参拝のお客さんに道を尋ねられることが何度もありました。「私は臨済宗の僧で、祖師の足跡を辿っております。」とお答えしておりました。

 

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「天台宗では、お釈迦さまは宇宙の真理を説かれたと捉える。臨済宗では、お釈迦さまは『修行をして自分自身の中に仏さまの心があることに気づくことが大切であると説かれた。』と捉える。」と自分なりに教義の違いの解釈をしながら、ゆっくりと足を進めておりました。

 

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紅葉

うちのお寺の樹木が、ひっそりと紅葉しております。

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寒くなると私の顔も赤くなります。酔っているのではなく、木々に順応しております。

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本来無一物(ほんらいむいちもつ)

木曽川にかかる橋を渡るところです。きれいな朝空が澄んだ気持ちをもたらしてくれます。

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次の大源寺だよりに、「本来無一物」という禅語を掲載します。
「いつもチリを払っていかなければならない。」という先輩に、「人の心は元からきれいなものだ。払うチリなんてどこにあるのか。」と大胆に挑んだストーリーです。

母がお嫁に来た頃のこと、本堂にいるとご近所の和尚さんに手招きをされます。人差し指でかきあげたホコリを見せて、気づきを求めたようです。
母もその和尚さんも小学校の教員でしたから、「払うべきチリはない。本来無一物」と行かなかったものかと、40年経ってから懐古しております。