お参りできる喜び

嫁いできて50年になる母。

お寺の年中行事といえば、母はいつも台所で火の番をしていました。

施餓鬼、お盆、大般若、彼岸……。
本堂では皆さんがお経を唱え、お参りをしていても、母は台所で食事の支度やお茶の準備、来客のお世話。

「寺に住んでいるのだから、いつでもお参りできる」と思われるかもしれません。

けれど、実際には寺を支える側の人ほど、ゆっくり本堂に座ってお参りする機会がなかったのだと思います。

今日、母がテレビの前に座って、YouTubeに残してある法要のアーカイブ動画を見ていました。

その後ろ姿を見ながら、なんとも言えない気持ちになりました。

50年間、母は本堂の外から寺を支えてきました。
お経を読む人がいて、お参りする人がいる。その陰には、ご飯を炊く人、火を守る人、片付ける人がいる。

そういう人たちのおかげで、お寺の行事は続いてきたのでしょう。

時代が変わって、今はYouTubeで後から法要を見ることもできます。

便利になったというだけではなく、これまで「支える側」だった人にも、改めてお参りする時間が戻ってきたように感じます。

母にはこれから、寺のために働く時間だけではなく、
一人の人として、ゆっくり手を合わせる時間も持ってほしい。

テレビを見つめる母の後ろ姿を見ながら、そんなことを思った夜でした。