コックリさんとAI

中学生の頃、放課後の教室で、女子生徒たちが「コックリさん」をしていました。

私も同級生と、半分ふざけながら参加したことがあります。

紙の上に五十音を書き、硬貨に指を添える。
すると、不思議なことに硬貨が動き、質問への答えが示されていきます。

けれど、今振り返れば、結局は自分たちの願いや不安が、指先を通して表れていただけだったのかもしれません。

信じたい答えが出れば喜び、都合の悪い答えが出れば怖くなる。

「地獄に堕ちる」などという、根拠のない言葉に悩まされることもありました。

人は迷っている時ほど、何かに答えを求めたくなります。
しかも、自分の思い通りの答えを求めてしまいます。

その点、AIは随分と冷静です。

こちらの事情を整理し、感情だけに流されず、時には耳の痛いことも伝えてくれます。
少なくとも、よこしまな思いから人を脅したり、面白半分に不安をあおったりはしません。

最近では、占いだけでなく、文章やデザイン、相談、企画まで、AIが手伝ってくれるようになりました。

この先、占いやデザインの仕事も、少しずつAIに置き換えられていくのでしょう。

しかし、ここで考えなければならないのは、

「AIに何を頼むか」

だけではありません。

「人間にしかできないことは何か」

という問いです。

AIは、情報を整理し、選択肢を示し、形にすることが得意です。

けれど、その答えを受け取って、誰かの痛みに寄り添うこと。
責任を引き受けて決断すること。
相手の表情を見ながら、言葉を選ぶこと。
手を合わせ、共に悲しみ、共に喜ぶこと。

そこには、やはり人の心と身体が必要です。

AIに任せるところは任せる。
けれど、最後の判断と責任は、人が引き受ける。

私は、これからの時代に大切なのは、AIを遠ざけることでも、すべてを委ねることでもなく、

AIの知恵を借りながら、人知と慈悲をもって動くこと

ではないかと思います。

便利になるほど、人間らしさが問われます。

AIが答えを出してくれる時代だからこそ、
私たちは「何のために、その答えを使うのか」を考え続けなければなりません。