朝の9時半から檀家総代さんのお宅の三十三回忌の法要がありました。50分ほどお経を唱和して、32年前にお亡くなりになったご両親の供養をさせていただきました。
32年前は、高校生ながら私も脇僧として参列させていただきましたが、ご自宅での葬儀で大勢の参列があり、てんやわんやなものでした。私は知りませんでしたが、お布施の金額が今の私のお伝えする金額の3倍近くあったようで、小僧にすぎなかった私の生意気な態度もあり、大源寺への不評や不満が蔓延していたようです。
32年の間に、大学、僧堂(修行道場)、サラリーマンを経て、少しは腰が低くなったかもしれません。
お寺に対する不満が強いのは、年金制度と同じような給付と負担の不均衡にあるかもしれません。葬儀や年忌法要や月参りに来てもらうことの見返りとして、お寺の年中行事のお手伝い、お寺の建て替えや修復の時は寄付を求められるという、ご恩と奉公のような関係性が成り立たなくなりました。お金を払えばお坊さんがやって来てお経を上げてもらえるサービスがあり、負担の重いお寺に従属していることにどれほどの価値があるのか疑問に思うのも無理もないことかもしれません。
お寺に属していることで、こんなありがたいご縁があるという機会をお伝えしていかないといけませんね。「冷やし中華はじめました。」というように、短いメッセージでは右から左へ抜けて眠くなってしまうお話しになることでしょう。
そんな長話をしていると、1時間10分も滞在していることに気づきました。若い頃に夜のお店で、「お時間です。」と追い出されたことを思い出しました。
適度な時間とわかりやすさが必要ですね。