大垣市民病院

母の診察に付き添って、大垣市民病院に来ています。

40年前に祖父が入院して、よく通ったものです。

祖父は皇居で叙勲を受けて、一族や末代までの誇りと喜んでいました。集落の全世帯からお祝いが届き、床の間は祝いの品で、床が抜けるほどでした。

宗門の花園高校の校長にも推挙されたのですが、肺がんで余命1年と宣告されて、祖母の猛反対で断念しました。
半年後、父の自死で意気消沈して、この病院で息を引き取りました。霊安室について行きました。

「源実朝のように、分不相応な栄誉があると災難がある。」と祖母は目立つ行動や言動を戒めていました。

そんな思い出が蘇ってきました。50年前からこちらでお世話になっています。祖母は私の運転がうまくないので、行きはバスで帰りはタクシーを使って通っていました。この病院は名古屋大学医学部卒業の医師が多いので、祖母はその点にもこだわりがあったようです。

母の診察に立ち会うと、私が「ああでもないこうでもない。」と口を挟むので、しばらくの間立ち会いを拒否されていたのですが、久しぶりに同席することになりました。祖母も私の立ち会いを嫌がっていました。

普段大人しい私がごちゃごちゃ口を挟むのも、40年前の嫌な思い出があるからです。亡くなった祖母や今ここにいる母も困った時に限って、私を頼ってきます。