小規模化する葬儀とこれからの供養

午前中は、岐阜市の火葬場近くにあるセレモニーホールにて、葬儀の導師を務めてまいりました。

喪主さまは各務原市にお住まいの方でした。お話を伺う中で、私が20年ほど前に少林寺の月参りに伺っていた頃、そのお宅の近くを通っていたことを思い出しました。
直接深いご縁があったわけではなくとも、地域の中で道が重なり、時間を経て、また仏縁として出会うことがあります。そう思うと、一つひとつのお参りや、何気なく通った道にも、不思議なご縁が宿っているように感じます。

近年は葬儀の小規模化が進んでいますが、本日のご葬儀には多くの方が参列され、故人さまのお人柄とご人徳が自然と伝わってまいりました。

葬儀を終えて駐車場に戻ると、弘峰寺の田村ご住職にお会いし、ご挨拶をさせていただきました。田村ご住職はいつも緻密に動いておられ、そのお姿から大変学ばせていただいております。

最近になって知ったことですが、30年ほど前までは、病院・葬儀社・お寺の間に緻密なつながりがあり、それぞれが共存共栄する時代があったようです。
その一方で、ご遺族が何か不満や疑問を感じても、なかなか意見を言い出せない空気もあったのではないかと思います。世間体を整えることが一つの安心となり、それで「まあ満足」とされる時代でもあったのかもしれません。

しかし、震災やコロナ禍を経て、地縁や血縁のつながりは大きく変化しました。葬儀のあり方もまた、時代とともに変わってきています。
家族葬など、葬儀が小規模化していることは、必ずしも信仰が薄らいだからではないと思います。むしろ、お寺や近所、親族関係などのしがらみから少し距離を置きながら、それでも大切な人の供養は続けていきたいという思いの表れではないでしょうか。

お金をかけ、形式を整えることだけが、よい葬儀ではありません。残された方が、これからも故人さまを静かに思い、無理なく手を合わせていけること。その土台を整えることこそ、これからの葬儀や供養に大切なことだと感じます。

私自身も、そうした思いをしたことがあります。だからこそ、これまでの重圧やしがらみから離れたいと願う方々の心に寄り添い、その方々が安心して供養を続けていけるよう、これからもお手伝いしてまいりたいと思います。