月命日というわけではありませんが、住職の祖母の墓前に行きました。
お経を読むというよりは、生前に老人ホームへ行ったときのように、近況の報告に向かいました。
大源寺のある岐阜県の西濃地方では、月命日のお参りのことを常飯と言います。故人にご飯をお供えするして、目の前にいるかのように語りかけて、故人の心を尋ねることから由来するのではと思います。
仏さまへ手を合わせて自分の心が円満であることを願うことと、供養の心から故人の心を読み解くことは同じものなのです。
月命日というわけではありませんが、住職の祖母の墓前に行きました。
お経を読むというよりは、生前に老人ホームへ行ったときのように、近況の報告に向かいました。
大源寺のある岐阜県の西濃地方では、月命日のお参りのことを常飯と言います。故人にご飯をお供えするして、目の前にいるかのように語りかけて、故人の心を尋ねることから由来するのではと思います。
仏さまへ手を合わせて自分の心が円満であることを願うことと、供養の心から故人の心を読み解くことは同じものなのです。