お通夜で、ナゴヤドーム近くにあるティアという葬儀会館に来ています。
「心付けを受け取りません。」というポスターがありました。昔は心付け文化でした。うちには、タクシーの運転手さんに「お釣りはいらない。」とお渡ししたり、必要以上に饗応をしていたものです。
うちには心付けをする家風はありませんでしたが、心付けをしないとケチったと意地悪をされたものです。「あのお寺の時はこうだった。」と嫌味を言われたものです。
心付けを受け取らないと宣言されるのは、利用者にとってありがたいことです。
担当の職員とお話しして、冨安社長や奥様やご子息、ブロック長を存じ上げておりますとお話ししていました。
昔は「黙して語らず。「と寡黙のほうがよいとされました。私は寡黙では何も伝わらないし、積極的に出ていき人脈を広げていかないと衰退するタイプですので、不器用ながら進めております。
「師檀和合して親しく 水魚のちかづきをなし 来際一如てして 骨肉の思いを致すべし」と曹洞宗の瑩山紹瑾禅師が説かれたようです。臨済宗妙心寺派の前管長の小倉宗俊老師がよく引用されていました。
今はお寺と檀家という関係性が揺らいでいますし、お寺も檀家も経済的に厳しいのです。葬儀でできたご縁から、一緒になって、葬儀社のお手伝いのもと、ともに悲しみのケアに歩んでいきたいです。