ご近所の引退されたご住職は、かつて葬儀を依頼された税務署職員に、税務調査の時の意趣返しをしたことを、懐かしそうに語っておられました。
人間ですから、理不尽な扱いを受ければ腹も立ちます。
仕返しをして、胸のつかえを晴らしたくなる気持ちも分からなくはありません。
しかし、その話を聞きながら、法然上人の父・漆間時国の遺言を思い出しました。
父が襲撃を受け、命を落とそうとするとき、まだ九歳であった勢至丸、後の法然上人に、敵を恨んではならないと諭したと伝えられています。
仇を討てば、また新たな恨みが生まれる。
恨みは子や孫へと受け継がれ、いつまでも終わることがありません。
仏教には、怨親平等という言葉があります。
自分に親しい人だけを大切にし、憎い相手を切り捨てるのではない。
親しい者も、恨みを抱く相手も、分け隔てなく平等に見つめていく教えです。
もちろん、現実には簡単なことではありません。
嫌なことをされた相手を、すぐに許せるものでもありません。
それでも、恨みを育て、意趣返しを武勇伝として残すのか。
それとも、自分のところで恨みの連鎖を断ち切るのか。
僧侶が後世に伝えるべきものは、仕返しの痛快さではなく、怨みを超えていく仏の教えではないでしょうか。
父を殺された法然上人が、復讐ではなく仏道を歩まれたこと。
そこには、まさに怨親平等の心が表れているように思います。
恨みを忘れることはできなくても、恨みに自分の人生を支配させない。
それが、仏道を歩む者の姿なのだと思います。
