禅僧の修行は、雑巾がけをすることから始まります。
修行僧の頃は、床の上を早くきれいにしようとしても、やり残しが多かったものです。
本堂内の濡れ縁の上の雑巾がけをしております。
汚れ具合を見ながら、雨漏りの可能性がないかを確認しております。
そんな折に、本堂の柱にかかった聯(れん 対句を書いた一対の木札)の禅語が目に入ってきました。
「水月道場に坐して、空華の万行を修す。」とお読みします。
「水や月のようなとらわれのないところで坐禅をして、心が鏡のようにあらゆるものをきれいに映し出す。」と解釈しております。
面倒なことに思える雑巾がけを実践していると、鏡に映し出すように思わぬことを発見することができるのです。