初めての本堂での葬儀でしたが、大きなクレームやトラブルなく無事に終わることができました。
3年前に、長谷雄 蓮華上人がご住職をされる愛知県愛西市の大法寺の本堂葬儀の取り組みを拝見して、うちのお寺でも檀家さんや墓地会員の方とご縁を深めていくために必要な取り組みと認識して、思案しておりましたが、無事に終わって安心しております。
葬儀の開式前まで、庭の草取りをして参列者と世間話をしていました。妙心寺の開山の関山慧玄禅師は、妙心寺の住職になってからも境内の草取りをしていたそうです。その横を天龍寺の開山の夢窓疎石国師は車駕で通り、夢窓国師は「これで妙心寺は安泰だ。」と語れたという逸話を思い出しました。
葬儀後は、後片付けを葬儀社さんと一緒に行い、プレイングマネージャー気取りで動いていました。
火葬場へ行き火炉の前でお経を上げていると、職員のおじさんが「早く終われ。」と露骨に嫌な顔をされていました。
その後の初七日は無事に終わり、ご喪家の皆さまは安心してお帰りになりました。
昭和後期から平成初期にかけて、葬儀が大きくなり、葬儀社さんまかせになりました。お坊さんは控室に待機して、葬儀社職員の先導されるままお経を上げることが多くありました。
20年前に私が脇僧で行った時、葬儀社職員が低姿勢で導師に打合せに行くと、「引き継ぎがなっていない。それにしてもこの弁当はまずい。御社がバックを取り過ぎているからだ。」と菩提寺住職は苦情を言っていました。
葬儀が終わると、「鳴らし物のタイミングが悪い。」と毎回のように説教部屋があり、私が槍玉に上げられていました。
私もこんなお寺社会が嫌になり、還俗も考えて、新興宗教の本を読んでいたこともあります。
偉くなり過ぎたお寺や住職の姿勢を見直して、一般の人が仏教を信仰するきっかけとなる葬儀で、わかりやすく費用のかからない、対等に住職と対話できる本堂での葬儀を進めていきます。