お寺へ帰ると、本堂の濡れ縁で猫が寝そべっていました。
起こさないようにそっと近づいて、写真を撮っていました。

子どもの頃は、猫が芝生や砂利の上で糞尿をしていくので、迷惑がっていたものです。
心に余裕が出てきたからか、愛おしく思えてきました。

円覚寺の前の管長の足立大進老師は、犬か猫を慈しむようにと、「慈雲」と号されたとお聞きしたことがあります。
この世に縁ある万物に慈しむようにしていきたいです。