先日、甥っ子から開経偈にある百千万劫の意味を聞かれて、適当に途方もないほどの大きな数であると答えました。
日曜説教で横田南嶺老師が教えてくださいました。「この上なく尊い仏様の教えというものは、百千万劫という気の長い時間を経たとしても、この教えに巡りあうことは難しい。私はいまその教えを見たり聞いたりして受け入れられることができる。願わくば仏様の教えを自分の身の上に体得できますように。」という教えであるようです。
この本来の解釈を小学生に伝えるのは難しいですね。「おじさんと会って、本堂で仏様にお会いできることは百千万劫にも難しいことだよ。」と言えばわかってくれるかもしれません。
