禅語録の勉強会

午前中の納骨式を終えてから、大垣駅から東京湯島の麟祥院に向かいました。

月に一度の臨済宗の祖師の語録を読み解く勉強会でした。

前半は駒沢大学の小川隆教授の大慧禅師の語録の解説でした。レジュメに細かい字が多く記載されていて、メガネを外して読んでいたら、前列にいらっしゃる松竹寛山老師も同じような仕草をされていました。

中国の宋の時代に、慧安院というアクセス良好な立地にあり、往来の修行僧の投宿所となるお寺があったようですが、なかなか後継の住職が決まらずにいました。

当時はそのエリアの長官が、統括する禅師さまにお伺いを立てて、指名をいただき任命する習わしであったようです。

うちの近所にも立地十分なお寺でなかなか後継住職が決まらずにいたお寺がありましたが、老師さまの鶴の一声で決まったお寺があります。

そんな背景を知っているから読み解くことができます。

当時の禅の修行道場には六知事という、取締役のような重役があったようです。
また化主(けしゅ)という財務責任者の重役があったようです。今の真言宗豊山派や智山派の管長さまを化主とお呼びするようで、宗派が異なると同じ名称でも役割が異なるようです。

小川先生のご講義の後、横田南嶺老師のご講義がありました。臨済録の解説でした。
臨済禅師のおられた唐の時代は、今のようにひとつの修行道場での生え抜きがよいという習わしではなく、高名な老師さまがいらっしゃるという噂を耳にすると、そちらのお寺に駆けつけて修行する習わしであったようです。

臨済禅師が、今の私があちこち勉強会に行くように、動き回るのがよいとする解釈と、じっとしていたほうがいいとする解釈とあるようです。

私はドキドキして聴いていましたが、臨済禅師はあちこちの老師の元での修行を否定されなかったという解釈でした。

30年前にやる気なかった私が、今では月にお会いする老師さまは4人いらっしゃるので、いろいろご意見をいただくものです。
今日、東京に出てきて、今の方向性に背中を押していただく結果となりありがたい思いで、帰路についています。