昨日は花園大学の公開講座に出席して、小川太龍教授のご講義を聴講してきました。
小川教授とは、17年前の妙心寺での高等布教講習会でご一緒しました。小川教授のご法話を聴いているうちに、圧倒されたことを思い出します。
臨済宗の修行道場である僧堂の組織構成と修行の意義についてのご講義でした。
私は29年前の20歳になる歳に、犬山市の瑞泉寺の僧堂に入門したのですが、僧堂の組織のことも知らずに入って、よく持続できたものです。これも道友のおかげです。
もう少し、僧堂の組織や毎日のことを知ってから入門すればよかったと思うのですが、これからは後世に伝えて行くために学びます。

こんなことがありました。襖越しに、老師と知客(しか 僧堂の部屋頭で来客の担当者)さんが、話しているのを耳にしました。知客さんは「一寛は上の者と下の者との関係のバランスがまったくわかっていないんですよ。」と言うと、老師は、「あいつは、そういう上下関係がわからずに来たのだな。困ったものだ。」と対話しておられました。
そうして長い年月が経ったのですが、「何のために修行したのか。」「生家の寺を継ぐためです。」「檀家10軒しかないのに気の毒」と犬山市や岐阜市近辺で言われたものです。
地元では、「オレは僧堂に行きたかったけど、生家のお寺にお金を入れないといけなかったので、僧堂にいかず、教職についた。」と先達がおっしゃって、近所の方は、老師さんと校長先生を務めた和尚さんとどちらが偉いのかわからないものでした。
このような認識を改めて行くために、小川教授のご講義は大変に勉強になりました。
「上求菩提、下々衆生」と、「常に仏様の悟りの深化を目指して、生きとし生けるものを救う。」ために修行があるのです。
私の29年前のように、世間体のために人身御供になるのではなく、修行で学んだものを自分で咀嚼して、多くの方々にお伝えしてお役に立てていくのが大切なのです。
今では修行に行くことは難しいので、毎日のYouTubeで横田南嶺老師のご法話をお聴きしています。京都や鎌倉や東京まで出向いて、横田老師のお話しをお聴きして、熱心すぎると呆れられています。
人生の折り返し地点を過ぎて、ようやく気づくことができました。
講義でありましたが、達磨さんがおっしゃったという「直指人心、見性成仏 (じきしにんしん けんしょうじょうぶつ)」は達磨さんがおっしゃったのではなく、300年後の黄檗希運禅師の頃に達磨さんのお言葉とされた後付けであるようです。
僧堂にいる時、「老師がこうおっしゃった。」と聞いて、本当かなと思ったものです。20年ほど前、妙心寺派の大垣市近辺のエリアの長が、「本山はこう言っとる。」とおっしゃったものですが、デタラメであり、月刊住職の記事をお見せしたら、怒っておられました。
仏教の教えは伝言ゲームのようなもので、しかるべき所で学んで、正確な知識を得ていくのが大切なのです。
夕食時にテレビをつけると、徳川家康の遺訓があり、岡崎市の小学校では児童がそらんじられると放映されていました。

「人の一生は重荷を負うて」の遺訓は、家康が遺したとは言い難く後世の後付けの可能性が高いのです。これを公立小学校で暗唱されるのはいかがなものかと思います。
後付けの情報ではなく、根拠のある古人の教えを継承していくべきであると思いました。