午後からは、次の大源寺だより22号の原稿をパソコンで書いていました。
腱鞘炎なのか腕が痛くて、歳を感じるところです。
20歳で住職になった28年前のことを思い出しました。京都市の大本山妙心寺で垂示式をして、住職辞令を受けて、法務局や岐阜県庁に代表役員の交代届を提出して、無事に東京の水道橋の校舎で学生生活に戻れるとうきうきしていました。
祖母から携帯電話に連絡があり、「妙心寺派宗務本所から、住職になる時の課題論文が提出されていないと電話があった。」と伝言がありました。
慌てて、水道橋駅の公衆電話から妙心寺派宗務本所に電話しました。当時教学部長を務めておられた、今の財務部長の羽賀和尚さまのご師父が電話を取られて、「桑海くん。「これからの時代の住職のあり方について」という原稿10枚の論文の提出が必要だよ。」とお聞きして、びっくり仰天して、論文を書き始めました。
当時の私に宗教的素養や組織運営の気構えなどなく、跡取り息子として、いかに檀家さんや隣り近所から称賛されるかということしか頭にないもので、論文など書けません。
本に書いてあることを適当に写して、宗務本所に提出したものでした。
今になって原稿を書くようになるとは、いろんな経験をして、否定されて生きて来たからかもしれません。
こうして、28年前のことをカミングアウトして、これから課題論文の提出を要求されるかもしれません。