大もとの教え。

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先日、名古屋市の栄にある政秀寺にて、河野太通老師の「十牛図」の講話を聴聞してきました。

10章あるうちの7番目の「忘牛存人」という章を学びました。

「法に二法なし、牛をしばらく宗となす。」という文言で始まります。

法というのは真理のことであり、宗というのは「大もとの教え」という解釈です。

「自分の心のなかを暴れ回る牛を飼いならすことができれば、この世の真理というものは一つであり、自分の心こそが物事の大もとである。」という教えです。

この世の物事を客観視することができさえすれば、何物にもとらわれることのない安心を得ることができるのです。安心を得さえすれば修行が終わりということではなく、慢心が生じることのないように永遠に続くことが大切であると説かれました。

宗教という言葉は、元は禅の語録の碧巌録にあったようで、明治時代にreligionという英語を翻訳されるにあたり引用されたようです。この世の真理を捉えて、毎日の安心を得るという本来の意味に近づくことができました。

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