臨済録

「无名会」の法話の会に参加させていただきました。
木村太邦老師が、「臨済録」という臨済禅師とお弟子さんとのやりとりを書き留めた語録を噛み砕いて教えてくださいました。

今回の場面では、仏教の教学を重視するお坊さんとのやりとりでした。
「体系化した仏教の教学こそが、仏さまの教えを説明するものではありませんか。」という問いに、臨済禅師が「そんなことを言うようでは、まだまだ甘いな。」とのやりとりでした。

10年ほど前に、地元の教区の法話の講習会で、「難しい言葉を羅列して、まったくなっていない。」と罵倒されたことを思い出しました。

木村老師は、「臨済禅師は難しい言葉を使う教学を否定されたわけではない。」と説かれました。
「その質問する心こそが、仏さまの心である。」ことを逆説的に示されているのです。

私も「こうでなくてはいけない。」と難しく考えてしまいます。ありのままの心を研ぎ澄ますことが大切であるのです。

講義の中で、「煩悩即菩提」という言葉を例にあげられました。よくないとされる煩悩でも、うまくコントロールすることができれば、仏さまのような心にたどり着くことができるのです。

臨済禅師は、「難しく考えていてはいけない。ありのままに物事をとらえて、ありがたい因縁によって生かされていることを知るべきである。」と逆説的に教示されたのです。

会場のお寺の周りは、にぎやかな繁華街です。お寺から出ると、真っ先に「相席居酒屋」を広告する電光掲示版が目に入ってきました。若い頃でしたら、煩悩でパニックになったことでしょう。

頭で覚えるばかりでなく、日頃生ずる心や湧き出る煩悩を、うまくコントロールすることこそが、臨済禅師のお考えの根本であることを、学ばせていただきました。

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