雪を担いで、井戸を埋める。

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住職が20年前に掛塔(かとう  入門)した、愛知県犬山市の瑞泉寺の僧堂の入制開講式に行ってきました。

入制開講式とは、僧堂の始業式のことです。

玄々庵  小倉宗俊老大師による、三祖鑑智禅師の「信心銘」という禅の語録の提唱(講座)がありました。

「違順相い争う。是れを心病と為す。玄旨を識らざれば、徒らに念静に労す。円かなること太虚に同じ。欠くることなく、餘ることなし。」のくだりを講義くださいました。

「道が間違っているとか合っているかの葛藤をすることは、心を疲れさせてしまうことである。その道の根本となるものを知らなければならない。道は大空のようにまどかで、足りないことも残ることもない。」という解釈をしております。

老大師は、「その道の根本を知るには、ただ無駄骨と思えるようなことの繰り返しが必要である。「雪を担いで井戸を埋める。」というたとえのように、無駄に思えることから見えてくるものがある。自分の経験したことからでなければ、道の根本をたどることはできない。」とご教示くださいました。

 

住職が20年前に掛塔したとき、提唱の時間は、不謹慎にも居眠りばかりしておりました。老大師の教示されることの意味もわからずにおりました。20年の間、パンクしたタイヤに空気を入れるような、無駄骨とも思えることの繰り返しにより、やっとのこと「円かなることは、大空のようである。」という解釈ができるところになりました。

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