未来の住職塾に入って以来、いろんな冊子が届くようになりました。
「フリースタイルな僧侶たち」でページをめくると横田南嶺老師のインタビュー記事がありました。
働くということがテーマでした。お金を稼ぐことや自己実現ということで働くことが多いのです。
「仕事をしていくのは苦である。苦を続けて自我の主張を手放して道が拓けてくる。」と述べられていました。
私は小さくても祖父が東大卒で教員をしていて、誇り高かった住職のお寺の跡取り息子です。お寺を守っていくには、二足の草鞋が必要であるという家訓でした。
そのためにと、宗門大学ではなく一般大学に入りました。学生相談室の教授に「ぼく教員か公務員になりたいです。」と言うと、「桑海くん。なんで教員か公務員になりたいの?」という質問に、「お寺をやっていかないといけないから、休みの取りやすい公務員系がいいのです。」と言うと、教授は、「桑海くん。それはお茶汲みの従業員と同じレベルだよ。」と一笑にふされました。30年前のやり取りで表現が不適切なところもあります。
いろんな苦節を経て今に至っているのですが、自我を手放したところに道が拓けてきたようです。
お寺を守って何をしていきたいか、それを檀家さんや利害関係者が理解してくれるか、そうして経済的にも持続可能か、社会のお役に立っているかいろんな思いがまとまったところに仕事として成り立っていくと思います。