昨日、禅の修行は、「不立文字、教外別伝、直指人心、見性成仏」と言って、文字によらない対面のコミュニケーションによるもので継承されるものとお伝えしました。
「十牛図」という、禅の修行の過程を絵にしたものがあります。その第二幕は「見跡(けんせき)」と言います。
仏さまと同じような清浄な心になろうとする青年は、仏さまの象徴である牛の足跡を追い続けます。青年は、牛の足跡を見つけるところまでたどり着きました。まだ発見することはできません。
牛を発見することすなわち仏心に近づくことは、知識ばかりでなく言葉にすることが難しい智慧も要します。
日々の何気ないことから真実が見えてくることもあります。「渓声すなわちこれ広長舌」と、川のせせらぎから仏さまの心を読み取ることができる古人もおられたのです。青年を自己に重ね合わせて読み解いていくと、より解釈が深まっていきます。