京都の花園大学へ行き、佐々木閑先生の「AIと仏教」という講義を受講してきました。
私は社会が好きで、数学や理科は苦手でした。「桑海は社会だけだよ。」と同級生から嘲笑されたものです。
数学の関数や化学や物理は大の苦手で、中学校の担任に先生によく叱責されました。数学の宿題でチャンペラ(解答つき参考書)を使ったのですが、先生にバレバレでした。
今でいう広汎性発達障害なのですが、それでも社会生活をして住職の任務をこなしているのは、同業者の中でいち早くパソコンを取り入れて、今ではAIを用いて情報を取捨選択して管理して共有しているからです。
そんな私のやり方を地元では白眼視されます。「よく頭で考えていかないと自分のものにならない。門よりいるは家珍にあらず。」というお考えも大切ですか、多くのご縁があり忙しい毎日を過ごしていると、AIの力を使いたくなります。
佐々木先生の講義は斬新なものでした。「AIは仏教の諸法無我の教えに通じるものがある。」と説かれました。講義内容を詳しく書きませんが、AI時代になっても人間の生き方を見つめて、大切に過ごして行きたいと思いました。
うちのお寺でも「AI副住職」という企画のご提案をいただいております。私は「AI執事長がいい。」と主張しているのですが、今後人口減少の時代で、的確にコミュニケーションしていく上で、よき秘書でありパートナーになるでしょうね。