悲しみの分かち合い。

供養という名のもと、檀家さんのお宅へ行き、ただお経を読むという儀礼を行うことが僧侶の勤めではありません。

そういうことを知ることができたのは、ごく最近のことです。宗派を超えたお坊さんのご縁ができたからです。

三重県の津市にある、真宗高田派の潮音寺まで行き、自死遺族の悲しみを分かち合う会に参加させていただきました。

これまで「こうあるべき。」と説いてきましたが、理屈で悲しみを抑えることなどできません。ご遺族のありのままの感情に寄り添い、今後の人生を明るいものにしていくお手伝いが必要なのです。

 

「年々にわが悲しみの深くして  いよよ華やぐいのちなりけり。」という岡本かの子さんの歌を教えてくださいました。年ごとに悲しみは増していく。その分人間の輝きというものは増していくということなのでしょう。

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