雪が降り真っ白な境内になりました。


除夜の鐘の時は、どうなることかと心配しています。

 

懐かしい写真が出てきました。隣にいるのは弟です。
高校2年生の時に撮ってものです。
本堂が修復前で、庭木が生い茂っています。

古い書状が次々に出てきます。

 

明治29年に4等地というランクに認定されたもの、昭和27年に1等地に認定されたものが出てきました。

うちのお寺の経済規模は、さほど変わっていませんが、歴代住職の考えによって、1等地から5等地まで変動しています。

歴代住職の名前も出てきました。歴代住職から、いまのやり方でよいかお尋ねしたいところです。

お花

お墓にお花がたくさん供えられています。

お墓参りにお越しになった方にごあいさつをすると、「大源寺だよりが届きました。ありがとうございます。」と言ってくださいました。

ご縁が深まっていくことを感じます。

 

祖父が高等専門学校の名誉教授の称号をいただいた書類が出てきました。

父も教職員を目指していたようで、教員免許が出てきました。

 

うちは、教職員の一家であったことを思います。私のやり方を見て、父も祖父もヒヤヒヤしていると思います。

記念写真

書庫を掃除していると、雲水(修行僧)の時の記念写真が出てきました。
真ん中で、前から2番目に立つとは、遠慮のないことをしたと反省しています。

中日新聞にお寺との関わりの悩みが記載されていました。

コロナ前までは、檀家さんが集まって、行事の際にお出しする御斎(おとき 昼食)の炊き出しをしていたものです。

私が住職の実務を担うようになってから、「いつまで、こんなことを続けるのか。」という声が多くなりました。

思い切って、お弁当に変えて、高齢化する檀家さんの負担を減らしました。

檀家さんが集まって、「我々のお寺を支える。」という文化はすばらしいものです。今では「檀家さんの依頼を受けた住職が、お寺の価値を高める。」ことに移行してきたと思います。
これには、ビジネス的という批判もあるのでしょう。

 

昔の価値観のままで行事を続けることへの疑問が多くなり、限界が出てきたのではと思います。

 

木魚

幼い頃は、煙突からサンタさんがやって来ると信じていました。
ほこりだらけの物置から、小さな頃に使った木魚が出てきました。強く叩いて布団から落ちるので、糸で押さえられています。

幼い頃を思い出す木魚が、クリスマスイブに出てくるとは、不思議なことです。

地域の100世帯に戸別訪問して、大源寺だよりの新号を配布しました。心待ちにされる方がおられて励みになります。

午後からは、檀家さんの祥月命日のお参りを本堂で行いました。

この数年は新しいご縁作りに力を入れてきました。古くからのご縁を大切にしてこそ、お寺の基盤が固まると思います。

古い日記

書棚の整理をしていると、古い日記が出てきました。小学校何年生の時でしょうか。